源平ゆかりの高野山寺院 (6)



6.金剛三昧院 [こんごうさんまいいん]

 高野山全体が世界遺産と思われがちですが、違います。
 金剛峯寺、壇上伽藍、徳川家霊台、奥之院、大門、金剛三昧院が世界遺産に登録された地区です。
 数ある宿坊のなかで唯一、世界遺産に登録されている金剛三昧院は小田原谷にあります。
 大通りから南のほうに入った閑静なところです。

 源頼朝の妻・北条政子が頼朝の菩提を弔うために、建暦元年(1211) に創建。
 境内の多宝塔は頼朝と息子の実朝の菩提を弔うために政子によって貞応二年(1223) に建てられたのもので、
 最古の石山寺の多宝塔に次いで古く、高野山で現存する一番古い建築物です。
 金剛三昧院には寺宝が多く、世界遺産に登録されていることもあって、観光客が多いようです。
 境内に入るのに拝観料が必要な宿坊は、ここだけかも知れません。
 寺院の維持管理のための財源確保も仕方ありませんね。

 今回、たまたま “特別拝観” の期間だったので、
 以前の参拝では拝見できなかった源頼朝、北条政子、足利尊氏、足利直義それぞれの位牌を間近で拝見できました。
 それと、拝観記念として 「金剛線腕輪守」 というものも頂きました。
 これで拝観料500円はお値打ちのような気がします。

 金剛三昧院については、以前の記事にあらかた紹介していますので、ご参考まで。 →

 

多宝塔 【国宝】
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塔内には五智如来像が安置されていて、中尊の大日如来さんには頼朝の遺髪が納められていると伝わります。







中庭
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本堂
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本堂前の錫杖に括りつけられた金剛線はガラス戸越しに、堂内の愛染明王の手とつながっていて、
錫杖を左右にゆすって鳴らすと願い事が叶うとのこと。

愛染明王
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このご朱印は、2年前の高野山開創1200年記念バージョン。
今回いただいたご朱印では手書きの年月日でした。





≪余談≫

 源頼朝の位牌は、東大寺勧進所の阿弥陀堂にもありました。
 (最新の状況は分かりませんが)



(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (5)



5.圓通律寺 [えんつうりつじ]

 蓮華谷から南方約1km、山道を歩いて約20分の山あいにひっそりとあります。
 人里離れ、森閑とした地に建つ圓通律寺は、現在は真言宗の僧侶を目指す人々の修行道場になっています。
 女人禁制どころか、特別に用のある人以外は立ち入りが禁止されています。
 ただし、花祭りのときのみ一般人の法要への参列が許されます。(高野山関係者が多いようです)

 開基は弘法大師の十大弟子のひとり、智泉と伝わっています。
 平安時代末期、荒廃していたのを再興したのが、醍醐寺の僧で東大寺再興の大勧進・俊乗房重源さん。
 当時は専修往生院と言っていたようです。
 専修往生院では、重源さんのもとに24人の念仏衆(蓮社友)がいて、その中には、
 有王丸、斎藤時頼 (滝口入道)、平維盛、木工右馬允知時、熊谷直実、藤原成頼らがいたと伝わります。
 『平家物語』 に登場する方々ですね。
 平重衡にとって、
 ・平維盛は甥
 ・木工右馬允知時は使用人で、重衡の最期を見届けた人。一説には、高野山へ埋葬するため重衡の遺骨を運んだ人。
 ・藤原成頼は義兄 (重衡の正室・藤原輔子の姉・藤原成子の夫)




俊乗房重源
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(図録から拝借)

※ ただいま、東京国立博物館 「運慶展」 に出張中。










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圓通律寺への山道
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途中、ぬかるんでいる箇所多々あり。要注意。






 圓通律寺についてはこれまでに何度か記事にアップしていますので、詳しくはそちらを → 重源さんと仲間たち




※ 使用した写真は、2016年、2017年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。



(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (4)



4.大圓院 [だいえんいん]

 こちらも蓮華谷にある寺院です。
 開基は、理源大師聖宝 [りげんだいし しょうぼう]。
 聖宝さんは京都の醍醐寺の開基でもあり、吉野の修験道を再興した人とも伝えられ、
 東大寺には東南院 (現在の東大寺本坊の前身) を建立して三論教学の拠点を築きました。
 東大寺やその周辺には聖宝さんの伝説がいろいろ残っています。
 
 前回の記事で紹介した清浄心院に庵を結んだ滝口入道 (斎藤時頼) は、
 その後、大圓院の第八世住職・阿浄律師となります。
 大圓院の庭には、横笛ちゃんがウグイスに化身して飛んできて止まったという梅や、
 ウグイスが落ちた井戸があります。
 寺伝では、阿浄律師は横笛ちゃんの菩提を弔うため阿弥陀如来立像を彫り、
 井戸に落ちて死んだウグイスの亡骸をその胎内に納めたということです。
 この阿弥陀さんはウグイスの弥陀とも呼ばれていて、大圓院の本尊です。




大圓院
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ウグイスの梅とウグイスの井戸
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ウグイスの井戸は梅の木のうしろにある。
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≪余談1≫

 御所の滝口で警護担当の武士だった斎藤時頼は平重盛に仕えていたので、
 平重衡とは顔見知りだったかも知れませんね。

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≪余談2≫

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 横笛ちゃんの最期はいくつか話があって、

  (1) 嵐山の大堰川 (桂川の上流) で入水。
  (2) 尼になって奈良・法華寺に入ったが、ほどなく亡くなった。 (『平家物語』 覚一本)
  (3) 高野山の麓で、女性がぎりぎり近づける天野まで来て、そこで亡くなった。
 など。

 大圓院に伝わる話は、(3)の話の系統でしょう。



 以前、天野で横笛ちゃんゆかりの場所を訪ねました。


横笛の恋塚 @天野
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右側の石積みが横笛ちゃんの墓石。
左側の宝篋印塔は昭和56年に大圓院によって建てられた供養塔。




神田 [こうだ] 地蔵堂 @天野
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横笛ちゃんはここで滝口入道を今か今かと待っていたという。




≪余談3≫

有王丸の墓 @天野
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有王丸は俊寛僧都の従者。
流刑先の鬼界が島で亡くなった僧都の遺骨を首にかけて持ち帰り、
高野山奥ノ院に納め、蓮華谷で法師となった。




※ 使用した写真は、2013年~2015年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。


(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (3)



3.清浄心院 [しょうじょうしんいん]

 蓮華谷にある寺院です。
 平宗盛によって再興されたと伝わります。
 雑仕の横笛ちゃんと恋仲になるも、身分の違いを理由に父親からきつくとがめられた斎藤時頼は出家して高野山に入り、清浄心院の境内に庵を結んだと伝わります。
 一ノ谷の戦いで戦線離脱した平維盛は高野山へ向かい、滝口入道(斎藤時頼)に再会したそうです。
 維盛は滝口入道を見て、都にいるときは華やかな青年だったのに、30歳になっていない滝口入道はまるで老僧のようにやせ衰えた姿だったと『平家物語』に記されています。
 滝口入道の庵は現存しませんが、庵の前にあったという井戸(ウグイスの井戸)は、その後、同じ高野山内寺院の大圓院に移されたそうです。
 維盛の子・六代が父親の最期の様子を聞きに滝口入道を訪ねたと『平家物語』にありますが、対面したのはこの庵だった可能性があります。



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※ 使用した写真は、2013年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。



(つづく)

源平ゆかりの高野山寺院 (2)



2.熊谷寺 [くまがいじ]

 蓮華谷にある寺院です。
 高野山参拝に来た法然上人 (圓光大師) や親鸞上人 (見真大師) が逗留したというこの寺は、
 阿弥陀如来を本尊としていて、浄土宗との関連が深い寺です。
 高野山の宿坊の中で、「寺」 が付くのは熊谷寺だけかも。
 熊谷直実 (蓮生) も逗留し、この寺に平敦盛の供養塔を建立して菩提を弔ったそうです。
 当初は智識院と称していましたが、のちに三代将軍・源実朝によって熊谷寺と改められたようです。

 法然上人、親鸞上人、九条兼実、熊谷直実の4人が集まって歌を詠んでいる様子を描いた 「歌会の絵図」 や
 毛髪を使って南無阿弥陀佛、南無大勢至菩薩、南無観世音菩薩の文字を織り込んだ 「阿弥陀三尊名号」 が寺宝にあり、
 現在、高野山霊宝館で開催中の 「高野山の名宝 ~ 平家物語の時代と高野山」 展で展示されています。

 一の谷の戦いで熊谷直実が平敦盛を討ち取った話は、『平家物語』 巻第九 「敦盛最期」 にあります。



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法然上人、親鸞上人、熊谷直実が庭前の井戸の水鏡で姿を映し、自らその姿を木像に彫ったと伝わります。
その井戸がこちら。
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圓光堂
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3体の木像は表門の横にある圓光堂に安置されています。









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2015年に参拝したとき、秘仏の本尊・阿弥陀如来さんがたまたま公開されていたので、本堂でお参りしました。
現地に行ってはじめて知る情報が高野山にはけっこうあります。







本堂
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平敦盛(左)、熊谷直実(右) 供養塔
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奥の院の参道沿いにある熊谷寺の墓地にて。




石塔には文字が刻まれています。


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    「■敦盛■■

          璘荘大居士

     元暦元年二月七日
           直實立」

と刻まれているのかな?

  “■敦盛■■” は、”為敦盛空顔” か?
  “直實立” の直後に、“之” があるかも。






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    「江州塩津城主
     為熊谷寺殿法力

          蓮生法師

     承久三年九月四日」

と刻まれているのかな?


※ 石塔の文字は素人判断の推測なので、本気になさいませぬように。

※ 使用した写真は2013年と2015年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。




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(つづく)

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なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
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