行基さんといっしょに大仏参拝


奈良時代の僧侶・行基菩薩を慕う “ぎょうキスト” たちが、10月20日(土)、東大寺や飛火野に集いました。

東大寺総合文化センターでは 「行基の実像に迫る」 と題するシンポジウムが、
奈良公園の飛火野では 「行基さん大感謝祭」 というイベントが行われました。

ワタクシはシンポジウムの聴講が目的だったので、ほぼ同じ時間帯に行われた大感謝祭はパス。
シンポジウムのあとは、行基さんといっしょに大仏さんを参拝しました(希望者のみ)。


輿に乗せられ、参道を行く行基菩薩像(喜光寺蔵)のあとに、同行の参拝者が続きます。


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紫色の法衣は喜光寺の高次喜勝師





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同行の参拝者(目印は胸に貼ったシール)は行基さんに続いて、この時だけ開けられた中門を通って大仏殿へ。


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シール





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大仏殿に入った行基さんは基壇に上がり、大仏さんと正対しました。
なんと、同行した我々も基壇上へ上がってよいとのこと。
てっきり基壇の下でお参りと思っていたので、これにはびっくり。
これまで何度か基壇の上に上がらせていただいているのですが、こういうサプライズは嬉しいですね。
喜光寺の喜勝さんが導師となって、般若心経を皆さんとともに読経。
喜勝さん、薬師寺の花会式のときのように声を張り上げていました。
大仏造営に尽力した行基さんは大仏さんが出来上がる前に亡くなったので、今回のご対面でさぞお喜びだったでしょう。

大仏参拝が終わったあとは、大仏殿前で記念撮影。
その後、飛火野で 「行基さん大感謝祭」 を締めくくるスカイランタンがあったのですが、
ワタクシは時間の都合でパスしました。


 ※ 朝日新聞記事 →






≪余談1≫ シンポジウム・メモ


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 シンポジウム午前の部の登壇者は行基さんゆかりの寺社からで、東大寺長老の狹川宗玄師、
 薬師寺長老・喜光寺住職の山田法胤師、唐招提寺長老の西山明彦師、西大寺清浄院・久修園院住職の佐伯俊源師、
 春日大社権祢宜の中野和正氏という、そうそうたるメンバーでした。
 午後の部は研究者の方々のお話が主で、登壇者の中には奈良文化財研究所の馬場基氏も!
 (朝日放送「探偵!ナイトスクープ」の「レイテ島からの葉書」で、葉書を解読した方)

 僧侶の方々は、これまで講演会などでお話を聞いたことのある方ばかりで、一方的に顔見知りです。
 狹川宗玄師は今年2018年で98歳!
 ご高齢ながら、話はよどみなく明快で、歴史上の出来事が起きた西暦もすらすら出てくるし、英単語も飛び出す。
 これからも、どうぞお元気で。
  (お元気とは言え、杖を突きながらの高齢者を20分ほど立たせたまま話をさせるとは、主催者の配慮が足りない)
 山田法胤師は 「マンガで行基さんを採り上げて欲しい」 と強調。
 行基四十九院のひとつとされる久修園院の住職でもある佐伯俊源師は西大寺清浄院の住職で、
 真言律宗の寺院での法要でときどきお見かけします。その声明は迫力があって、密かにファンです。
 行基さんが1万人ほどの民衆を集めて説教したのが飛火野とされていることから、
 中野和正氏は春日大社ゆかりの飛火野について話をされました。
 明治初期の飛火野あたりの古写真(おそらくあまり知られていない貴重な写真)がたくさん紹介されて、
 会場内がどよめきました。

 午後の部で、中川修氏(龍谷大学名誉教授)は、行基さんの利他の心はその師の道昭から受け継いでいると思われる。
 さらに道昭の利他の心は中国留学中に師事した玄奘三蔵から受け継いでいるのではないか、とのこと。
 馬場基氏は 「行基さんの道普請」 と題するお話で、
 演台の後ろに立つのではなく、最近はやりのステージを歩きながらのプレゼンでした。
 オヤジギャグを挟みながら、独自の視点で説明されていて、とても面白かった。

 行基のブレーンは誰か? との質問に対して、近藤康司氏(近畿大学非常勤講師)は、
 不明だが、須恵器を作っていた土師 [はじ] 氏の可能性がある、とのこと。
 これは馬場基氏の発表内容とも符合するところがあって、なかなか興味深かった。

 国土交通省(主催社側)の方の挨拶や、行基さんとのゆかりがある木津川市の市長の話もあり、
 とても中身の濃いシンポジウムでした。




≪余談2≫

 ワタクシが勝手に命名しました。

  ・行基菩薩のファン = “ぎょうキスト” または “ぎょうギスト”
  ・平重衡のファン = “しげひラー”
  ・在原業平のファン = “なりひラー”
  ・俊乗房重源のファン = “ちょうげニスト”
  ・理源大師聖宝のファン = “しょうぼイスト” (しょぼい感じでチト苦しいな)

 ファン度の濃淡はありますが、ワタクシのブログでたびたび登場していただいている方々です。





≪余談3≫

 各地の行基さん。

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(大阪府立狭山池博物館)






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(有馬温泉)





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(正月二日に行われる有馬温泉入初式で、初湯で沐浴する行基菩薩像)





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(伊丹市御願塚)



行基さんが指導して作られた昆陽池 [こやいけ] のある兵庫県伊丹市には、
行基四十九院のひとつ 昆陽寺 [こやでら] があります。
その境内には石碑があって、行基さん作のよく知られた歌が刻まれています。

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山鳥のほろほろと鳴く声聞けば
父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ

(筆は薬師寺・高田好胤師)





町名にもなっている。
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(伊丹市行基町)



およく(功徳日)・2018



8月9日は、東大寺二月堂・功徳日(およく)。


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この日にお参りすると、46,000日毎日お参りしたことと同じ功徳があるそうです。
計算すると、46,000日イコール約126年間ですよ。スゲー。


今年2018年も、ありがたいことに参拝できました。
記録的な猛暑が小休止したものの、猛烈な蒸し暑さの中、二月堂へ。

大観音さんと小観音さんにお参りしたあと、福引き会場の南の局へ。


おーーっと! ヤバイ、まだ自転車が残っている!
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慎重に選んだ結果、
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双眼鏡が当たりました!
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大手メーカー品ではないのでどの程度のものか分かりませんが、まあよしとしましょう。
今年も自転車が当たらず、命拾いしました。
ピンク色の電動アシストなし自転車を、立ち漕ぎで生駒山越えという恐ろしいことにならずに済みましたからね。
来年こそは、長老様の色紙をゲットしたいゾ。



それからこの日限定の “カフェ de 四万六千” (北の茶所) へ。
今年はいつものみたらし団子、ぜんざい、かき氷の販売が無く、そうめんだけという寂しい状況でした。
<樫舎>のみたらし団子が食べたかった。。。


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2杯いただきました。





みたらし団子といえば、奈良では<おくた>。
無性に食べたくなり、<おくた>へ向かう。
途中、あちこち立ち寄り。


東大寺東塔院跡発掘再開中
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新装オープンしたばかりの龍王社 (@春日大社)
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ご利益は運気上昇・金運財運守護。






<おくた>のみたらし団子はいつもの辛口で
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CD 「曖昧な記憶」




「曖昧な記憶 ambiguous memory」
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東大寺二月堂の北の茶屋では、修二会(お水取り)の聲明のCDが数年前までかかっていましたが、
最近、東大寺の大鐘<奈良太郎>の重厚な響きとともにピアノのメロディが流れています。
演奏しているのは、榊原明子さん。
奈良在住のピアニスト、作曲家です。
記憶に新しいところでは、昨年2017年10月14日に奈良春日野国際フォーラム甍で行われた
“ピアノと能の響演「重衡」~1180年治承四年十二月二十八日夜半 一本の松明から事件は起こった”公演で、
ピアニストとして出演されていました。
(産経新聞記事→
奈良関連イベントなどに多く関わって活躍されている方で、先日少しお話させていただく機会がありました。


CDは全6曲で、24分ほど。
奈良太郎とピアノが“響鳴”する曲は、心地良かったり、厳粛な気持ちになったり。
後半の3曲は、韓国でのライブ演奏。

CDのオビには、顔写真付きで東大寺上院院主の平岡昇修師の推薦コメントが!
このCDが北の茶屋でかかるのも、二月堂受納所で販売(1,080円、税込み)されているのも、なるほどです。
(奈良市の啓林堂書店奈良店でも販売されているようです)

榊原さんの演奏会情報を調べたら、京都から奈良へ移転したジャズライブハウス「ブルーノート」で
来る8月11日(土)にセッションあって、共演するパーカッショニストがなんと、スティーヴ エトウ氏。→
スティーヴさんは、修二会の練行衆の補佐役である仲間[ちゅうげん] のひとり。

興味津々のセッションなのですが、気付いたのが遅かったので、都合つかず、行けません。
残念!


東大寺の大黒さん


東大寺上院周辺には、意外に大黒天がいっぱい。
探してみてください。



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その昔、ここにあった建物に安置されていた大黒様は。。。
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。。。こちらと伝わっています。
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現在は遠く離れたところにいらっしゃいます。





もうひとつの良弁杉



  「その杉が良弁杉で、二月堂の下に立っています。
   あまり大きくないのは、現在のものが3代目だからです。
   初代の良弁杉は、昭和36年9月16日に第二室戸台風が奈良を直撃したとき、
   地上から10メートルを残して折れてしまいました。
   残った木も真っ二つに引きさかれたので、杉の皮を巻いて保存に努めたのですが、
   昭和41年にとうとう枯死し、伐り倒されてしまいました。
   台風の後、良弁杉を後世に残そうとし、挿し木をして二世を育て、
   初代良弁杉のあとに植えておいたのですが、これも枯死してしまいました。
   実はいまの良弁杉は、実生で育ったものなのです。」
             (筒井寛秀著 『誰も知らない東大寺』 から)


実生 [みしょう] とは、接ぎ木や挿し木などによらず、種子から発芽し、生育した植物のこと。
あまり大きくないと書かれていますが、この本の出版(2006年)後、
10数年経っている今の3代目良弁杉は大木になっています。


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(2017.12.23)



この本には、一般には知られていない興味深い話が満載です。
良弁杉についてもそうで、「良弁杉」 と呼ばれるようになったのは
人形浄瑠璃の 「二月堂良弁杉由来」 が初演された明治20年ごろから後のことだろうと書かれています。
二月堂の歴史のうえでは、かなり最近のことになりますね。
そしていろいろな文献から、元々は杉ではなく、櫟 [いちい] の木だったことは間違いないようです。

今の良弁杉の根元の近くには、初代良弁杉の根の一部が残っています。
枯れたからと言って、処分されずに残されているのが嬉しいですね。




もうひとつの良弁杉
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今の3代目良弁杉が枯れたり、倒れたりしたときのための予備の良弁杉だそうです。
4代目良弁杉ですね。
どこにあるか、探してみてください。



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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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