東大寺ミュージアムで法要



毎月8日の朝、東大寺ミュージアム 内の千手観音立像の前で法要が行われます。
この日は法要に合わせて通常の開館時間9:30a.m.より1時間早く開館するので、法要を聴聞することができます。



東大寺ミュージアム前で
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先日、初めて聴聞に行きました。
式衆はほぼ一山が参集されているようでした。
読み上げられるのは、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五。
いわゆる、観音経です。

出だしの 「爾時無盡意菩薩・・・」 はアダージョで入って、次第にアッチェルし、偈の前までプレスト。
偈の出だしはアダージョで入って、次第にアッチェル。
というように、読誦の速度に変化が何度かあって、とても興味深いものでした。
(経本があっても、高速読経は素人がついていくのは難しいデス)。

館内は響きますので、大勢による読経は迫力ありました。
また、聴聞者以外の一般人はほとんどいないので、雑音無く聴聞できました。
機会があれば、また聴聞したいです。





≪余談1≫

  JR西日本の観光キャンペーン 「ちょこっと関西歴史たび」 の一環として、
  この8月から9月にかけて 「東大寺大仏縁起絵巻」 が東大寺ミュージアムで特別公開されています。
  公開期間が3期に分けられ、上巻、中巻、下巻がそれぞれで公開。

      ※ ちょこっと関西歴史たび 世界遺産 東大寺 →


   0011-3.jpg  「下巻の展示で登場するかも?」 (T.S衡)





≪余談2≫

  以前、帰省先の法要で大悲呪 (大悲心陀羅尼) をときどき聞きました。
  なにを唱えているのか、さっぱり分かりませんでしたが、
  「もーらーもーらー」 とか、「しーりーしーりー」 などの言葉は、子どもゴコロに印象に残りました。
  何度か聞いているうちに、幼い兄弟が生き別れた母を探すストーリーではないかと思うようになりました。
  兄弟の名前は フジサト坊やモコサト坊や で、母親の名前は ソモ子 だと思ったのですよ。
  まったく違ってたけど。



大悲心陀羅尼 (4:04)


※ 少しトリップ感あり。重低音木魚が刻むリズムがたまりません。




およく(功徳日)・2017



8月9日は、東大寺二月堂・功徳日(およく)。
この日にお参りすると、46,000日毎日お参りしたことと同じ功徳があるそうです。

今年2017年も、ありがたいことに参拝できました。
暑さの中、二月堂は多くの参拝客で賑わっていました。

観音さんにお参りしたあと、この日限定の “カフェ de 四万六千” (北の茶所) へ。



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みたらし団子は奈良町の和菓子屋さん 「樫舎」 の。 (3本200円 !)
店主さんも来られていて、ご奉仕されていました。
おいしいので、おかわりしてしまいました。




冷やしぜんざいも、ウマッ。

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福引きは、南の局で。

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景品の自転車がまだありました。
毎年、自転車に乗って生駒山越えして帰らなければならなくなったらどうしようと、ヒヤヒヤ。。。。



のー・ぷろぶれむ。
なんと、今年も法華堂の不空羂索観音さんのクリアファイルをげっと!
3年連続ですよ。
観音さんに好かれているのか、観音さんへの信心がまだ足りないのか。

なかなか長老様の色紙が来ません。
来年も、元気にお参りできますように。


夕方には、自転車はなくなっていました。
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≪余談1≫

  二月堂のご朱印は以前に頂いていますが、8月9日版だと観音力が46,000倍になるかも(?)
  と思って再度頂きました。



≪余談2≫

  18時からの法要に、初めて参列。
  西の局で聴聞。
  読み上げられるのは、法華経・観世音菩薩普門品第二十五。
  ワタクシも、こそっと唱和。
  “身而為説法” とか、“念彼観音力” のリフレインが心地良い。



≪余談3≫

  「樫舎」店主さんと懇意にしている、さだまさし。
  そういえば、NHK 「今夜も生でさだまさし」 の次回放送 (2017年8月26日) は、奈良国立博物館からです。 →



重源さんゆかりの湯屋



初めて一般に公開されている東大寺大湯屋。 (公開期間:2017年7月1日~31日)

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その内部に置かれた鉄湯船は、俊乗房重源さんが願主となって鋳物師・草部是助 [くさかべ これすけ] に造らせたことが、
その横腹の刻銘で判明しています。


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   東大寺大湯屋訪問の弊記事 →




刻銘は今ではサビでほとんど判読できませんが、江戸時代、もっと文字が読める状態のときに記録されていました。

    敬白
     造東大寺大勧進
      大和尚南無阿彌陀佛
     建久八年丁巳閏・・・・
      豊後権守・・・・


(この部分が書かれている 『東大寺年中行事記』 は東大寺ミュージアムで7月30日まで展示中)

ただし、江戸時代でも 「豊後権守」 以降の文字は判読できなかったようです。
なぜ 「豊後権守」 が草部是助と分かったか。





山口県防府市にある阿弥陀寺。

阿弥陀寺・本堂
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重源さんが東大寺再興のために各地に設けた別所のひとつ、周防別所だったところです。
この寺に残されている鉄宝塔の基壇にあたる部分の各側面に銘文があって、
その中に豊後権守が草部是助であることが書かれているのです。


鉄宝塔 【国宝】
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銘文 (北面)
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写真の★印の4行は以下のように刻まれています。


     鋳大工従五位下行豊
     後権守草部宿弥是助
       従五位下同助延
       従五位下同是弘




この鉄宝塔の鋳物師は、豊後権守・草部宿祢是助 [くさかべのすくね これすけ]、助延 [すけのぶ]、是弘 [これひろ] と
分かります。

銘文の別の部分には、重源さんが願主となって建久八年 (1197) に造らせたことも書かれています。
同じ建久八年なので、東大寺の鉄湯船も草部是助だけでなく、助延や是弘らも一緒に、
同じ場所で鋳造作業に加わっていた可能性がありますね。

草部是助は河内鋳物師のリーダー的存在だったようで、その当時の拠点は今の大阪府堺市美原区あたりだったようです。
  ※ 河内鋳物師に関する堺市美原区の記事 →


河内鋳物師の拠点のひとつ、大阪府堺市美原区




≪余談≫

  南都焼き討ちで焼け落ちた大仏の再鋳のために、重源さんは来日していた宋の工人・陳和卿らを鋳師として抜擢しました。
  その後、草部是助らの河内鋳物師を再鋳作業に加えたところ、宋の工人たちとトラブルとなり、険悪な状況になったため、
  重源さんは両者の間でいろいろと苦労したようです。
  そこをなんとか上手く取り成したところが、プロマネですね。

  ≪閑話休題≫







重源さんが周防国で造らせた湯屋 (石風呂) は、阿弥陀寺の境内のほかに、山口県の佐波川沿いの各地にありました。
その多くは建物用材調達などの作業員向けの保養施設で、そのいくつかは整備されて、今でも入浴体験ができるようです。

  参考:弊ブログ 「重源ゆかりの山口 (6) ~ 岸見の石風呂」 →


阿弥陀寺の湯屋
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湯屋近くにある石風呂 (昭和時代製) は、毎月第一日曜日に焚かれるそうです。




阿弥陀寺にも、鉄湯船 (破片) が残っています。
鉄湯釜もあります。
いずれも鎌倉時代のものです。
河内鋳物師が造ったのかも知れませんね。


阿弥陀寺の鉄湯釜(上) と、上部だけ残る鉄湯船(下)

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(いずれも図録から拝借)








「東大寺別院  周防 阿弥陀寺」
(東大寺・清水公照師の筆)
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大湯屋



一般公開されている東大寺の大湯屋へ。

と、その前に。。。。。




汗を拭き拭き、急坂を上って、重源さんの墓参り。


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「いつもお世話になっています」


脇の木が年々生長して、墓石が見えにくくなってきています。
剪定していただければありがたいのですが。



次。

重源さんの墓所から汗を拭き拭き、東大寺へ。
まずは鐘楼ヶ丘の俊乗堂へ。


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普段は俊乗忌(7月5日)と開山忌(12月16日)だけの公開ですが、今回の キャンペーン では7月いっぱい公開されます。

重源上人坐像、愛染明王坐像、阿弥陀如来立像 (釘打ちの弥陀) を久しぶりに堂内で拝観。
阿弥陀さんは先日の奈良博 「快慶」 展にお出ましになっていましたので、あまり日を置かずに再会できました。
お堂の片隅に、この阿弥陀如来立像を調査・研究し、模刻した仏師・吉水快聞氏の報告書が置いてありました。


釘打ちの弥陀
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(奈良博 「快慶」 展)





さて、大湯屋。
初の一般公開です。
屋内撮影OKです。


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鉄湯船は思いのほか大きかったです。
ガイドさんの説明では、サウナのように使われていたとよく言われているが、そうではなく、
かけ湯方式で使われていたようだ、とのこと。
保養のためというよりも、法要で使われた施設のようです。


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事前の情報どおり、湯船の横腹に刻まれた文字はサビでほとんど読めません。
( ご参考: 弊ブログ 「東大寺大湯屋初公開」 →

かろうじて、「敬白」、「造東」、「大」、「建」などの文字が見えます。
何が書いてあるかは、江戸時代の記録でわかっていて、その記録書が東大寺ミュージアムで7月30日まで展示されています。
ミュージアムでは、この記録書のほか、大湯屋に関連する境内地図や文書も展示されています。





≪余談1≫

  普段公開されていない俊乗堂ですが、同じ鐘楼ヶ丘にある念仏堂横にある納経所では、
  係りの方がいらっしゃれば基本的にいつでも 「重源上人」、「愛染明王」、「阿弥陀如来」 の各ご朱印も頂けます。
  いまはキャンペーン期間中ということもあって、納経所の体制が強化されていました。
  今回ワタクシは阿弥陀さんのご朱印を頂きました(二度目)。
  釘打ちの伝説のある阿弥陀さんなので、「釘打阿彌陀如来」 の朱印です。


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≪余談2≫

  二月堂の観音さんに呼ばれました。

    「ことしも来なはれ」

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西山先生、重源さんを語る



NHK奈良放送局のローカル番組 「西山教授の仏教よもやま話」。

平成29年6月20日放送 「東大寺 俊乗堂」 で、西山先生が重源さんを語っていますよ。→

    “ワシがやったろー!”



この7月に期間限定公開の大湯屋と俊乗堂。

もうすぐ行きますよー、重源さん。


重源像
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(三重・新大仏寺の重源像のレプリカ)








「余燼 (重源上人像) 」 新井勝利画
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(レプリカ)

※ 上の写真はいずれも大阪府立狭山池博物館にて







「重源上人勧進図」 富岡鉄斎筆
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(図録から拝借)

※ 東大寺の記録書 『東大寺続要録』 に重源さんは一輪車に乗って勧進したとの記述があり、これを踏まえた図のようです。



東大寺大湯屋初公開



これまで一般公開されたことがなかった東大寺の大湯屋が、期間限定で特別に公開されます。


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これはJR西日本のキャンペーン 「ちょこっと関西歴史たび 世界遺産東大寺」 で行われる特別企画の一つで、
大湯屋の特別公開期間は2017年7月1日(土曜日)から7月31日(月曜日)まで。


  ※ 小さなホテル奈良倶楽部さんのブログで、丁寧に紹介されています。→



大湯屋は奈良時代の創建で、温室院という名称のもっと大きな建物だったようです。
治承4年 (1180) 12月28日の南都焼き討ちによって焼失。


「ここも焼いちゃいました」
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東大寺再興の大勧進・俊乗房重源さんが再建した後も、たびたび修理・改築されているようです。
湯屋は風呂場のことで、今のサウナ風呂に近い使われ方だったようです。
今回の大湯屋公開で、重源さんが作らせた鉄湯船も観ることができます。
重源さんの主な事績をまとめた記録 『南無阿弥陀仏作善集』 (「快慶展」 出陳番号 37)に、

    大湯屋一宇 在鉄湯船・・・

と書かれているのが、まさにこの大湯屋と鉄湯船。
手元の資料によると、鉄湯船の横腹には刻銘があり、

    敬白
     造東大寺大勧進
      大和尚南無阿彌陀佛
     建久八年丁巳閏・・・・
      豊後権守

と書いてあるそうですが、現状はサビでほとんど判読できないようです。
「南無阿彌陀佛」 とは、重源さんのこと。
建久八年は1197年。




キャンペーン企画には、そのほかに、二月堂の礼堂に入っての特別参拝もある境内ガイドウォークとか、
諸堂を参拝して通常東大寺で頂ける18種類すべてのご朱印を頂く境内ガイドウォークもあるようです。

※ 熱心なご朱印コレクターではないので未確認ですが、たぶんコンプリートしているはず。
  法然上人ゆかりの指図堂のご朱印は、確か土日限定だったような。。。
  珍しいのは、大鐘 “奈良太郎” のご朱印で、「大梵鐘」 と書いていただけます。
  法華堂では、12月16日限定で 「執金剛神」 と書いていただけます。



あ、そうそう、通常は7月5日と12月16日のみ公開される俊乗堂が、大湯屋の公開期間と同じ期間、公開されます。
重源さんが亡くなった場所に建つ俊乗堂では、重源上人坐像のほか、
阿弥陀如来立像 (通称 “釘打ちの弥陀”、「快慶展」 出陳番号 32) に再会出来ます。


釘打ちの弥陀
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≪余談≫

 東大寺の周防別所だったところで、今の阿弥陀寺 (山口県防府市) にも同じような湯屋や鉄湯船のほか、
 鉄大湯釜も残っています。
 もちろん重源さんゆかりの鉄湯船、鉄湯釜で、東大寺大湯屋の鉄湯船とほぼ同じころに造られたようです。
 昨年2016年夏、7年ぶりの阿弥陀寺参拝で、二月堂修二会 (お水取り) で練行衆を務められたご住職に
 案内していただき、宝物庫にある数々の寺宝のご説明をしていただきました。→



二月堂スイーツ



“龍美堂” のおはぎ
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JR東海 「うましうるわし奈良」 のサイトで橋村公英師が紹介されていた( ) 寒い時期の温かいおはぎ。
今回(2017年)の修二会期間中に頂きました。
こどもの握りこぶしくらいの大きさです。
そいや、ここのわらび餅もかなりのヴォリュームだぞ。

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“カフェ de くゎんのん” (3月12-14日限定、@北の茶所) のぜんざい
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見えていませんが、白玉入ってます。








“カフェ de 四万六千” (8月9日限定、@北の茶所) のおよく餅
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冷たいぜんざいもあるぞ。







※ 参考

  落雁
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二月堂の雑煮 2017



年初はやはりこれ!
今年も頂くことができました。


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北の茶所は、1月3日と5日、「カフェ de ぼうぞう」 になります。








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南無観自在菩薩。
南無観自在。
南無観。




二月堂のトリたち




「迦楼羅王」
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「金剛仏子 公朝」 は西村公朝師?








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杉本健吉画伯のトリ
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森田りえ子画伯のトリ
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  ※ いつも弊ブログへお越しいただきまして、ありがとうございます。
    2017年もよろしくお願いいたします。




東大寺法華堂の落書き



東大寺法華堂 (三月堂) に昔の落書きがあることを聞いてはいましたが、具体的に何が書かれているのかは知りませんでした。

京都の古書店で見つけた 『東大寺』 。

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表紙の絵は、信貴山縁起絵巻の尼公の巻で描かれた大仏殿ですね。


観光ガイドブックかと思いきや、あまり知られていない情報も多く載っていました。
法華堂の落書きの内容についても載っていたので、購入しました。

法華堂の説明の終わりのほうに、以下のような記述があります。

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落書き (ワタクシが青字化) は、「千日花」 という法要の記録を刻んだものでした。
刻まれた年号を西暦に直すと、以下のとおり。
  長承元年 1132年
  保延元年 1135年
  久安五年 1149年
  仁平元年 1151年
  平治元年 1159年 (この年の12月に平治の乱)


法華堂の正堂 [しょうどう] の東扉と西扉の方立に、これらの文字が刻まれています。
ワタクシが見たことがあるのは、東扉の方立の文字だけ。
普段は西扉は閉まっていて、雨天や強風など気象条件によっては東扉も閉ざされるようです。
東扉が開いていても、網戸越しに見ることになるので、見づらいです。


西扉が開いていた法華堂
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「千日花」 という法要がどういうものだったかワタクシは知りませんが、
現在はボストン美術館が所蔵する 「法華堂根本曼荼羅図」 (→ )を法華堂内に据えて行われた法要だったかも? (妄想)
この仏画の背面には久安四年(1148)の銘文があって、東大寺法華堂に伝わってきたことが書かれているそうです。




    “いま三月堂の北面に石を以て八角形に囲まれた場所があるが、
     これはこの千日不断花を焼き捨てところであると云ふ。”

法要で使われた千日不断花を焼き捨てた場所が法華堂北側に現存する。
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『東大寺』
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B6サイズ。
134ページ。
発行日は、昭和16年9月5日。
発行所は、関西急行鉄道株式会社 (近鉄の前身会社のひとつ)。
定価は、七拾銭。(当時)
著者は、黒田曻義 [くろだ のりよし]。


黒田曻義氏
    建築史を専門とする技官だった。
    昭和16年(1941)に結婚したが、昭和20年(1945)、フィリピンで戦死。31歳。
    『東大寺』 が出版されたのは昭和16年なので、27歳頃。
    夫人は2015年に亡くなった。100歳。
    黒田曻義氏は1939年、興福寺東金堂の修理中に本尊・薬師如来の台座の下に

        仏頭
        buttou11-02-2016.jpg (パンフから拝借)
    があるのを見つけた人のひとりです。
    約500年、行方知れずだった仏頭の再発見に立ち会った人です。


考えてみれば、南都焼き討ちがなかったら、興福寺の仏頭もなかった訳だ。

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なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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