ハイキング立ち寄り大明神 (39)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 廣瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町)

   神名帳では、河合大明神 [かわいノだいみょうじん] (47) ←神名帳で読み上げられる順番


  [ひろせ たいしゃ] と読みますが、広瀬神社とも言います。
  神社があるあたりは大和川に複数の支流が合流するところで、地名の河合の由来になっています。
  水の神様です。



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広瀬神社と言えば。。。


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初めて行ってきました。
(2018年2月11日)

正式には御田植祭ですが、一般には砂かけ祭として知られています。
農民の田人 [たびと] と牛(に扮した人) が拝殿前の広場で田植えの所作をしたあと、
鋤 [すき] ですくった砂を参拝者へ情け容赦なく何度もぶちまけます。
参拝者もこれに応じて砂をかけ返します。
境内は、歓声と悲鳴と。
地元の人などは雨がっぱとゴーグルを装備して、完全防砂体勢で参戦。
砂のかけあいは1回5分ほどで、数分の休憩のあと再開。
これを8回やります。
回を追うごとに、砂かけの過激度がヒートアップしていくのもおもしろい。
牛に扮した人は砂かけの際は牛の面を外すのですが、全身が黒装束なので
ライトセーバーを鋤に持ち替えたダース・ベイダーっぽくて、なかなか不気味。
ワタクシは初参拝なので参戦せずに境内の隅で観戦でしたが、それでも砂が飛んできました。
境内に安全地帯は無さそうです。

砂かけが終わると早乙女による田植えの所作があり、そのあと参拝者に対して松苗と田餅が撒かれます。
幸運にも、両方ともゲットできました。

  ※ 廣瀬大社HPにある砂かけ祭の説明 →



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前日の雨のせいで、湿った重い砂が塊で飛んでくる。
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地元の小学生は楽しくて仕方がない様子。
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一方、砂かけ最終回開始直前、ダース・ベイダーはすでに疲れ切った様子。
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背後から、ドシャッ!
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(アトピン、ご容赦)






松苗
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廣瀬大社





ハイキング立ち寄り大明神 (38)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 葛木倭文座天羽雷命神社 (奈良県葛城市加守)

   神名帳では、委文大明神 [しっとんノだいみょうじん] (80) ←神名帳で読み上げられる順番


  [かつらき しどりにいます あめのはいかづちのみこと じんじゃ] と読みます。
  長いので、倭文 [しどり/しずり] 神社と略して言うそうです。
  延喜式内の神社。
  二上山の麓に鎮座しています。
  本殿の両脇には、葛木二上 [かつらき ふたかみ] 神社と加守(掃守)[かんもり] 神社が鎮座しています。


  以下、頂いた由緒書から要約。

  「 葛木倭文座天羽雷命神社
      祭神は倭文 [しどり] 氏の祖である天羽雷命 [あめのはいかづちのみこと]。
      この神は 『古語拾遺』 などによると、天照大神の荒衣・和衣の御衣を織り、
      のちにニニギノミコトが天孫降臨したときに御衣織として共に降臨し、
      機織 [はたおり] の術を教え授けられた。
      倭文 [しどり] は文布 [しづり] で、天羽雷命が初めて術を国人に伝え、
      子孫もその業を伝えた由縁によって倭文を氏とし、その部族が諸国に散在し、
      各々機織と裁縫の術を伝えた。

    加守(掃守)神社
      加守は掃守の借字であり、このあたりの地名<加守>も神社に関係があり、
      祭神の天忍人神 [あめのおしひとのかみ] は、掃守の祖である。
      『古語拾遺』 によると、神武天皇の父・ウガヤフキアエズノミコトが生まれるとき、
      天忍人神は海浜に宮室(産室)を建て、箒を作って蟹を掃い去ったことから、蟹守という。
      カニは香泥 [かに]、つまり胎児の垢のことである。
      昔、掃部 [かもん] の職にあった者は、元は蟹守から出たものである。
      天忍人神は産育の始祖であり、産婆の神である。 」


  三つ目の葛木二上神社は、二上山頂上にある葛木二上神社の遥拝所だそうです。


  漢織 [あやはおり]・呉織 [くれはおり] は古代に大陸から伝わった織物技術とされていますが、
  倭文は大陸の織物技術が伝わる前から日本にあった織物技術と考えられるそうです。



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Youは何しに神社へ?





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この神社とは何のゆかりもないそうですが、氏子になった子どもが健やかに成長するようにと
那須与一の絵馬がたくさん拝殿に奉納されています。





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葛木倭文座天羽雷命神社、葛木二上神社、加守神社それぞれのご朱印。
宮司さんが不在だったため、神社名は書いていただけませんでした。
加守神社の朱印は、伝説の蟹ですね。





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参道の脇には産婆さんの顕彰碑が2基あって、これはそのうちのひとつ。






葛木倭文座天羽雷命神社








≪余談1≫

 葛木倭文座天羽雷命神社は11字が使われている長い名前ですが、ワタクシが訪問したなかで一番長い名を持つ神社は、

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飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
[あすか かわかみにます うすたきひめのみこと じんじゃ]


 14文字あります。
 奥明日香にあるこの神社の拝殿にたどりつくまで、約200段の階段を登らなければなりません。
 本殿は無く、拝殿の背後にある山がご神体です。




≪余談2≫

 近鉄奈良駅近くのパン屋にある 「恵方巻パン」。

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 真上から撮ってしまい、中身が見えないのが玉にキズですが、ロール巻状のサンドイッチです。
 あしたの2月3日は節分の日。
 準備はいいか?


ハイキング立ち寄り大明神 (37)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 志紀長吉神社(大阪市平野区長吉長原)

   神名帳では、長良大明神 [ながよしノだいみょうじん] (289) ←神名帳で読み上げられる順番


  [しきながよし じんじゃ] と読みます。
  延喜式内の神社。
  祭神は長江襲津彦命 [ながえそつひこのみこと] と、事代主命 [ことしろぬしのみこと]。
  神社のHP によると、長江襲津彦命は葛城襲津彦命のことだそうです。
  葛城襲津彦は大和葛城地方を本拠とした古代豪族の葛城氏の氏祖として、知られています。
  襲津彦の娘は、仁徳天皇の皇后となった磐之媛 [いわのひめ]。

  神社があるあたりは長吉長原という地名で、昔の河内国志紀郡には属していないようなのですが、
  神社名に志紀が付くのはなぜでしょうか?
  詳しく調べると面白そうですね。


  この神社は、真田六文銭の軍旗が保管されていることで知られています。
  大坂夏の陣で、豊臣方の武将真田幸村が刀剣と軍旗を奉納して戦勝を祈願したと伝えられています。
  刀剣は太平洋戦争後に占領軍によって没収され、今は無いそうです。
  軍旗は、1月2日、3日、5月4日に一般公開されるそうです。



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  神社の少し南へ行ったところに真田幸村が休憩した所があり、碑が立っています。

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志紀長吉神社





ハイキング立ち寄り大明神 (36)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 穴師坐兵主神社(桜井市穴師)

   神名帳では、巻向大明神 [まいむくノだいみょうじん] (72) ←神名帳で読み上げられる順番
    あるいは、穴師大明神 [あなしノだいみょうじん] (365)


  [あなしにいますひょうず じんじゃ] と読みます。
  別名、大兵主神社 [だいひょうず じんじゃ]。
  社殿の写真無しでアップ済み()ですが、改めて先日写真を撮ったので今回二度目のアップです。

  山の辺の道から外れて、東へ緩やかな坂を上ったところにあります。
  このあたりは、景行天皇 (ヤトタケルのパパ) が営んだ宮があった場所と伝わります。
  坂の上から眺める光景が、なかなかよいのですよ。



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中央付近の森は景行天皇陵
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≪余談≫

  近くに、摂社の相撲神社があります。
  相撲の神様として、野見宿禰 [のみのすくね] が祀られています。
  当麻蹶速 [たいまのけはや] と 野見宿禰が戦ったところなので、相撲発祥の地と言われています。
  小さな祠がぽつんとあるだけです。
  境内には、土俵の跡があります。


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穴師坐兵主神社





ハイキング立ち寄り大明神 (35)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 大和神社 (奈良県天理市新泉町)

   神名帳では、大和大明神 [おおやまとノだいみょうじん] (35) ←神名帳で読み上げられる順番



大和 [おおやまと] 神社

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  祭神は、
    ・日本大国魂大神 [やまとおおくにたまの おおかみ] (主神)
    ・八千戈大神 [やちほこの おおかみ]
    ・御年大神 [みとしの おおかみ]
  の3柱。
  由緒書に、
    「当神社の主神は、日本の全国土の大地主大神 [おおとこぬしの おおかみ] に坐 [ま] します。
     上古伊勢神宮に坐す天照大神と共に宮中にて親祭され給ひしが、
     第十代崇神天皇は御神威を畏み給ひ、同六年(二千数十年前)、
     当神社の主神を市磯邑 [いちしのむら] (大和郷) に遷御遊ばされ、
     皇女渟名城入姫 [ぬなきいりひめ] を斎王として祀らしめ給う」
  とあります。
  『日本書紀』 には上記以外のことも記されていて、
  近くの箸墓古墳の被葬者と伝わる倭迹迹日百襲姫 [やまとととひももそひめ] も登場しますが、
  話が複雑で、まとめるのが面倒なのでこれ以上はやめておきます。

  戦艦大和ゆかりの神社としても知られています。
  2月10日に御田植祭があり、昨年2017年、田植歌が112年ぶりに復活しました。



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最寄りの駅はJR長柄 [ながら] 駅
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JR西日本 桜井線 (万葉まほろば線) の駅のとしては、かなりモダンなデザイン。







大和神社






ハイキング立ち寄り大明神 (34)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 佐味神社 (滋賀県長浜市高月町柏原)

   神名帳では、佐躾大明神 [さびノだいみょうじん] (283) ←神名帳で読み上げられる順番


  長浜市高月町の 「柏原」 交差点の南側に、高い杉の木に囲まれた小さな神社があるのは、
  これまで何度か高月めぐりをしてきたので以前から気付いてはいました。
  この神社が実は二月堂神名帳に出てくる “佐躾大明神” らしいと知ったのは、割と最近のこと。
  この神社の参拝のためだけにわざわざ高月へ向かうことはないので、
  今回(2017年)の高月の観音の里ふるさとまつりに行った際、立ち寄りました。
  柏原地区の阿弥陀堂 (来光寺) を参拝したときに頂いた説明書に、佐味神社のことが書かれていました。


  - 佐味神社 (式内)
    祭神は、豊城入彦命 [とよきいりひこのみこと]。
    この神社は、阿弥陀堂のある八幡神社境内から少し離れた郷境にある、通称 「藤の宮」 と呼ぶ土地に
    安置されている。
    大昔、柏原郷には佐味一族がいて、その先祖を祀った神社と言われており、地区民は祖神として崇拝している。
    境内には樹齢500年を越す老杉の大木をはじめ、ケヤキ、椿などの神木に囲まれて、
    厳かな雰囲気に包まれている。
    また古くから多くの藤の木があったことから 「藤の宮さん」 とも呼ばれ、住民に親しまれている。 -



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  佐味神社が、東大寺と若狭を結ぶ “観音ロード” (と勝手に呼んでいますが) 沿いにあるので、
  読み上げられるのかも?



佐味神社




※ 佐味神社は長浜市余呉町今市にもあるようです。





≪余談≫

  「柏原」 交差点から国道365号ではないほうの道を少し北に行くと雨森地区があって、
  その東側の高時川の土手道沿いに、東大寺二月堂修二会 (お水取り) の松明用に奉納される竹の林があります。
  こちらにも今回立ち寄りました。


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この写真だと少し分かりづらいですね。
以前に立ち寄った時の写真はこちら →



ハイキング立ち寄り大明神 (33)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。

以前の記事 ハイキング立ち寄り大明神 (15) で、未参拝ながら祝園神社を紹介しました。
先日、立ち寄ったので、写真を添えて再掲します。



● 祝園神社 (京都府相楽郡精華町大字祝園小字柞ノ森)

   神名帳では、祝園大明神 [はわそのもりノだいみょうじん] (96) ←神名帳で読み上げられる順番


  最寄駅は、JR祝園駅または近鉄・新祝園駅。徒歩約20分。
  祝園 [ほうその] は難読ですね。


    社記によれば、崇神天皇の時代にこの地で討伐された武埴安彦 [たけはにやすひこ] の亡魂が鬼神となって
    柞ノ森 [ははそのもり] に止まり、人々を悩ませていました。
    これを鎮めるため、春日大明神を勧請して創立されたのが同神社であるといわれています。
    現在に伝わる 「いごもり祭」 も、この時の斎戒沐浴しての祈願に始まるといわれています。
                                          (精華町HPから抜粋)


  神社の由緒書きには、称徳天皇の勅命により、神護景雲四年一月二十一日に創祠された、とも。
  称徳天皇ゆかりとは知らなかった。

  武埴安彦は 『日本書紀』 や 『古事記』 に登場する人物。
  崇神天皇の時代、このあたりは武埴安彦の乱の戦場となり、反乱軍兵士の多くが殺されて屍であふれた、
  このためこの地を 「羽振苑」 [はふりその] と呼ぶ、と記されています。
  [はふり] とは、「葬り」 のこと。
  「はふりその = 羽振苑 (葬園) 」 → 「ほうその」 と読みが転嫁したようです。
  「葬」 の字は縁起が良くないため、「祝」 の字が当てられたとのことです。
  「いごもり祭」 は近くの涌出宮でも行われていて、武埴安彦の鎮魂の願いが込められているらしく、
  一度は拝見したい行事です。




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武埴安彦処刑地
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祝園神社から少し南に行ったところにある。







祝園神社





ハイキング立ち寄り大明神 (32)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。




● 下居神社 (奈良県桜井市下居)

   神名帳では、下居大明神 [おりいノだいみょうじん] (219) ←神名帳で読み上げられる順番


  桜井市観光協会のHPから抜粋すると、
    下居 [おりい] 神社は、境内が下 [しも]、浅古、倉橋の三つの大字の境にある旧村社で、式内社。
    参道入口は多武峰街道に面しているが、本殿まで500メートルぐらいある。
    途中に弘化三年銘の金毘羅大権現の碑があり、やがて入母屋造りの拝殿に着く。
    本殿は檜皮葺の春日造りで、祭神は彦八井耳命 [ひこやいみみのみこと]。

  下居神社近くの倉橋というところには、崇峻天皇の倉梯柴垣宮 [くらはししばがきのみや] があったらしく、
  神社はその鎮守社だったようです。
  592年、蘇我馬子の命を受けた東漢駒によって崇峻天皇が暗殺されたため、
  天皇の子の蜂子皇子 [はちこのおうじ] は身の危険を感じて都を脱出。
  出羽 (今の山形県庄内地方) にたどり着き、
  出羽三山神社 (月山神社、出羽神社、湯殿山神社) を開山したといいます。
    ※出羽三山神社HP →
  多くの摂社末社の中に、下居社があるそうです。
  懐かしい故郷にある下居神社を分霊したのでしょう。
  蜂子皇子を祭神とする蜂子神社もあるそうですから、現地ではかなり有名なのでしょう。
  (奈良でも有名な人?)

  ところで、風変わりな名前の蜂子皇子の肖像画を見ると、不気味な顔で描かれています。→
  非凡な能力を持っていたことを暗示しているのかも知れません。




下居神社 (桜井市)
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聖林寺参拝の折に立ち寄りました。








下居神社








蜂子皇子墓


皇族なので宮内庁管理になっている。





ハイキング立ち寄り大明神 (31)



二月堂修二会で毎夜 “神名帳” で読み上げられる御霊さんの紹介。(その4)



● 長屋王

   神名帳では、大道御霊 [おおみちノごりょう] (447) ←神名帳で読み上げられる順番



  長屋王は、天武天皇の孫で、高市皇子の子。
  長屋王の邸宅跡に建てられた奈良そごうが撤退し、そのあとにできたイトーヨーカドーも撤退とのこと。
  例の噂が流れていますね。


長屋王墓

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近くに妃の吉備内親王の墓がある。
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父は「岡宮天皇」こと草壁皇子、母は元明天皇。






長屋王墓








● 菅原道真

   神名帳では、天満天神 [てんまんてんじん] (443)



  菅原道真のお墓の上に、大宰府天満宮の社殿が建てられています。
  東大寺とあまり縁が無さそうなのに、なぜ二月堂神名帳に御霊さんで登場するのか。

  ワタクシの素人考え:
    修二会本行期間中の3月5日と12日に読み上げられる過去帳。
    その中に “長官時平大臣” [ちょーがん しへいの おとど] があるからではないか?
    この人、左大臣・藤原時平と推測しているのですが、道真を大宰府へ追いやった人です。
    実は東大寺の俗別当の職にも就いていたので、過去帳に載るのは不自然ではない。
     (俗別当とは、俗人身分のままで寺院を統括する管理責任者のこと)
    となると、大宰府で失意の中、亡くなった道真としては面白いはずがなかろう、
    ここはひとつ派手にタタってやろうと道真は考えるかも、やばいんじゃね? と当時の人は怖れ、
    丁重に慰霊しようと御霊の段に加えた(のかな?)。


  ずいぶん以前に太宰府天満宮を参拝しましたが、デジタル写真はありません。
  門前で買い求めた梅ヶ枝餅が、すこぶる美味しかったのを覚えています。



奈良・初瀬におわすブチ切れ寸前の天神さん
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大宰府天満宮








● 大津皇子

   神名帳では、葛下郡御霊 [かっげくんノごりょう] (449)



  なぜこの方が神名帳の一番最後に登場するのでしょうか。

  大阪府と奈良県の境にある二上山の雄岳頂上付近に、大津皇子の墓とされる場所があります。
  二上山には何度か登りましたが、昨年2016年はかぎろひさんたちとご一緒させていただきました。→
  このときは初めて大阪側へ下りました。


大和八木発新宮行きのバスから見た二上山
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(国道166号、今里東交差点付近)



  最近では、二上山の葛城市側の麓にある鳥谷口古墳が実際の墓であるとする説が有力です。

鳥谷口古墳






大津皇子坐像

(図録から拝借)

興福寺の阿修羅像と同じように、愁いを含む表情のこの像も人気ですね。




※ 二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社を紹介してきましたが、
  機会があれば今後も追加していくつもりです。



ハイキング立ち寄り大明神 (30)



二月堂修二会で毎夜 “神名帳” で読み上げられる御霊さんの紹介。(その3)



● 淳仁天皇

   神名帳では、西寺御霊 [さいじノごりょう] (441) ←神名帳で読み上げられる順番


  淳仁天皇は天武天皇の孫で、舎人親王の子。
  藤原仲麻呂の乱ののち、淡路国に配流されました。
  淡路廃帝 [あわじはいたい] とも呼ばれます。
  廃帝は幽閉先から逃亡を図るも捕まり、
  引き戻された翌日の天平神護元年(765)10月23日に33歳で亡くなりました。
  自然死ではなさそうです。


淳仁天皇・淡路陵 (兵庫県南あわじ市賀集)

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≪余談≫

 淳仁天皇の現存する唯一の宸筆 「宜」。

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(図録から拝借)






淳仁天皇陵










● 藤原仲麻呂 (恵美押勝)

   神名帳では、先生御霊 [せんじょうごりょう] (444)


  光明皇后の甥。淳仁天皇の後見人でもありました。
  反乱 (藤原仲麻呂の乱) を起こして敗れ、捕らえられて斬首。
  東大寺との関係もいろいろあったので、藤原仲麻呂を御霊さんとして扱うのでしょうね。



法隆寺献物帳の中で書かれている 「仲麻呂」 のサイン。
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本人の直筆です。
達筆とは言えませんね。




勝野の鬼江


現在の高島市勝野あたりの湖畔で、捕えらえられた仲麻呂と妻子、従者34人が処刑された。
天平宝字八年(764)9月18日のこと。




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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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