NINJA City IGA




伊賀市役所
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「忍者市」 を宣言した伊賀市。
旧上野市だった伊賀市の中心部が主な観光地になっているようです。
再建された上野城と城下町の風情が残る町並み、松尾芭蕉の生家やゆかりの場所、伊賀忍者の里、鍵屋の辻など
歴史探訪がメインとなります。


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伊賀鉄道の車両は、元は東急の車両。
東急にはよく乗っていたので懐かしい。
松本零士のデザインで忍者列車になっています。

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「こヽわ 西丸之内    清酒 瓢竹」
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いつの時代の街区表示板だろう。








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和光の時計台はありません。








松尾サンち。
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蓑虫庵の隣にある芭蕉堂は芭蕉の墓所がある義仲寺の芭蕉堂を模したもの。
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伊賀鉄道上野市駅前には、松本零士 「銀河鉄道999」 ゆかりのメーテルと鉄郎のブロンズ像があります。

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≪余談≫

 NHKのバラエティ番組 「鉄オタ選手権」 に出てくるメーテルがいい味出してるよ。
 スペシャル動画 「メーテルの1日 “ハルカスに行きたくて・・・” 」 →



福智院の地蔵盆



奈良・福智院の地蔵盆に少しだけ顔を出してきました。
(2017年7月23日)



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本尊・地蔵菩薩
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(パンフから拝借)


丈六の大きなお地蔵さんです。
光背には地蔵化仏がびっしり。
その中に、閻魔さんがこっそりいらっしゃいますよ。




定刻になり、法要が始まりました。
近隣の真言律宗寺院から僧侶の方々が出仕されました。
ワタクシは堂内で聴聞、焼香しました。



法要が終わったところで、数珠繰りです。
数珠繰りの様子を撮ろうしていたところ、その場の流れでなぜか数珠繰りをすることに。
なので、終わったあとに数珠のみ撮影。
数珠繰りをやったのは初めてだったので、いい経験になりました。


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子供たちのわらべ歌が始まったところで、タイムアップ。
子供たちによる数珠繰りは、わらべ歌のあとでやったようです。


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この7月23日をメインに、奈良市内のあちこちで地蔵盆が行われます。




忍性菩薩生誕800年記念法要



忍性さんの生誕800年となる2017年7月16日、奈良・般若寺近くの北山十八間戸で記念法要がありました。


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般若寺の副住職さんが、忍性さんの業績を多くの人に知ってもらいたいと企画したそうです。
その趣旨に賛同して、宗派を超えて出仕された僧侶もいらっしゃいました。
法要には副住職さんの想定よりずっと多い150人ほどが参列したようです。
忍性さんのお導きがあったのでしょう。
手作り感あふれる素晴らしい法要でした。

    ・奈良新聞 →

    忍性菩薩生誕800年記念 特設サイト →


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ここにいた人たちは大仏さまを拝んでいたかも。
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日ごろ、北山十八間戸を管理しているのは近所の方で、
今回の法要でも準備や参拝者の対応などのお手伝いされていました。
大感謝ですね。






さて、北山十八間戸での法要のあと、般若寺へ移動。
境内にある忍性菩薩利生塔の前で法要がありました。

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一時活動拠点だった般若寺には忍性さんゆかりの物は何も残っていないため、数十年前にこの利生塔を建てたそうです。
そして生駒市の竹林寺にある忍性さんの墓から分骨されて、こちらに納められているそうです。
これは初耳でした。
忍性さんの遺骨は、極楽寺(鎌倉市)、額安寺(大和郡山市)、竹林寺(生駒市)、般若寺(奈良市)の
4か所に分骨されていることになります。

般若寺での法要が終わったところで、参列者に文殊菩薩と書かれた般若寺特製の手ぬぐいが授与されました。
また、記念グッズ(トートバッグ、忍性さん缶バッジ、文殊菩薩絵葉書)や忍性さんの絵本の販売もありました。
この売り上げは、東大寺と宝山寺の各福祉事業団に寄付されるそうです。





≪余談1≫

   今回の法要には般若寺副住職さんの趣旨に賛同して、別の宗派のお坊さんも出仕されていました。
   そのうちの一人で、横顔がなんとなく忍性さんに似ている方と偶然お話しする機会がありました。
   で、聞いてびっくり、なんと高野山の三寶院のお坊さん!
   三寶院さんには平重衡の墓 (首塚) があるので、この数年ほぼ毎年お参りに伺っているのですが、
   初めてお目にかかる方でした。
   まさか重衡ゆかりの般若寺で偶然お会いし、お話しできるとは!

   鎌倉時代、三寶院の住職が高野山にちゃんとした声明が伝わっていないことを憂い、
   大和・中川寺を本拠とする聲明を高野山に移しました。
   これが高野山の声明 (南山進流) として今に伝わっているのだそうです。
   中川寺は今の般若寺と円成寺の間にある中ノ川町あたりにかつてあり、その開基は実範という人。
   三寶院さんはゆかりの中川寺・実範上人の墓所 (中ノ川町) で法要を営まれているそうです。
   般若寺さんも実範上人の命日に法要を営まれているとのこと。
   そのようなご縁もあって、三寶院さんは今回出仕されたそうです。

   たしかに 「南山進流・中川寺・実範上人」 のご縁もあるでしょうが、
   ワタクシは平重衡が導いてくれた気がしてなりません。

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   南都焼き討ちの罪で処刑された平重衡の首は、般若寺の門前の鳥居に釘付けで晒されたと 『平家物語』 にあります。


平重衡供養塔 (般若寺)
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≪余談2≫

    忍性さんは、南都焼き討ち後の東大寺再興のために俊乗房重源さんが建立した阿弥陀寺 (山口県防府市) の
    第14代住職でした。

阿弥陀寺・本堂
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池田の呉羽・綾羽



機織 [はたおり] 姫の呉羽 [くれは]、綾羽 [あやは] ゆかりの地は、関西を中心に点在しています。
これらの土地では大筋は似ているものの、それぞれに微妙に違う由緒が伝わっています。
クレハトリ、アヤハトリもいろいろな表記があって、逐一説明するのも面倒なので、省略します。

先日、ゆかりの地のひとつ、大阪府池田市を訪問しました。




(1) 唐船が淵

  呉織 [くれはとり]、漢織 [あやはとり] たちを乗せた船が着いたところ。
  (呉の国からやってきたのなら 「呉船が淵」 じゃね?)
  大阪湾に注ぐ猪名川の東川岸で、五月山の麓です。
  岸辺に記念碑と説明板があります。 (下の写真にも小さく写っている)


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(2) 染殿井

  呉織、漢織が糸を染めるために水を汲んだ井戸の跡。
  インスタントラーメン発明記念館の南側にあります。
  住宅やマンションに囲まれるように石碑が建っています。


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(3) 星の宮

  呉織・漢織が機を織っていた場所で、天から七つの星が降りてきて
  明るく照らしたので夜遅くまで作業できたといいます。
  ロマンティックな話ですね。
  そしてここに星の宮という神社が建てられ、
  降りてきた星たちを明星大神 [みょうじょうおおかみ] として祀っています。
  織姫、七つ星といったキーワードから、七夕や乞巧奠との関連がありそうですね。


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(4) 伊居太神社

  [いけだじんじゃ] と読みます。
  池田市綾羽にある神社。
  正式名称は、穴織宮伊居太神社 [あやはぐう いけだじんじゃ] といいます。
  こちらでは、穴織を [あやは] と読みます。
  祭神は、穴織大明神 (アヤハトリ)、応神天皇、仁徳天皇の3柱。


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(5) 呉服神社

  [くれはじんじゃ] と読みます。
  祭神は、呉服大明神 (クレハトリ)、仁徳天皇の2柱。
  絹織物のことを指す呉服は、この [くれは] または [くれはとり] から来ています。


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社紋は苧環 [おだまき] でしょうか。かわいらしい。
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池田市に伝わる話は、池田市立図書館のHPにある 呉織・漢織 (クレハトリ・アヤハトリ) をご参考まで。









≪余談≫

 ワタクシがこれまでに訪れた呉織・漢織ゆかりの地は以下のとおり。


■ 於美阿志神社 [おみあしじんじゃ] (奈良・明日香村)

  祭神は、呉から呉織・漢織たちを連れ帰った阿智使主 [あちのおみ] です。


■ 糸井神社 (奈良・川西町結崎)


■ 木嶋坐天照御魂神社:通称「蚕ノ社・かいこのやしろ」 (京都市右京区太秦森ケ東町)


■ 喜多向稲荷神社 (西宮市松原町)

  小さな神社です。
  祭神は3柱あって、そのうちの織姫大明神は呉織・漢織のことでしょう。
  鳥居の横には、「史蹟 漢織呉織松・染殿池」 と彫られた石碑があります。
  呉の国からやってきた漢織と呉織が武庫 [むこ] の港に上陸したあと、
  この近くにあった松の木の傍らで休憩したといいます。
  漢織と呉織はこの松の木の近くにある池で糸を染めて、布を織ったと伝わります。
  松の木は今はありませんが、池は社殿の横に現存しています。
  このあたりは 「漢織呉織伝承地」 として、2014年に文化庁から名勝の指定を受けました。


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※ 津門 [つと] = 水門 [みなと] = 港 (か?)

   昔はこの神社のあたりまで海があって、港があった。





訪問した中では、池田市にあるゆかりの地の推し度が一番強い感じがしました。



マルツベーカリーのちくわパン




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JR桜井駅の南口にあるパン屋さん 「マルツベーカリー」。
店の外観も、内装も、売られているパンも昭和テイストで、懐かしさ度が高い。
内装は改装されてレトロ感が少し薄まった感じですが。

売り切れだったり、日曜定休を知らずに行ったりで、なかなか手に入らなかった 「ちくわパン」。
ようやく頂くことができました。
食べてみたいと思ってから、かれこれ10年ほど経ったのではないでしょうか。

フライにしたちくわときゅうりが挟んであるパン。
びっくりするほどおいしい訳ではないけど、惣菜パンとしてはなかなか。


今回のミニアンフライ、ロースハム&たまご、ちくわパン
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商品名や値段のシールがアナログです。
(カバンの中に入れていたので、少し潰れているのはご愛敬)




危険なのは、アンフライ。
あんこを挟んだ食パンを油で揚げたもの。
禁断の組み合わせです。
前回の初めてのときは、満腹なった食後のデザートとして頂こうとしましたが、
あんこと油でヘビー級なのでデザートにならない。
甘党のワタクシでもラストの数口は涙目に。

おいしいので、食べきりましたけどね。

前回の反省から今回はサイズ(小)のミニアンフライを選んで、のーぷろぶれむでした。





※以前購入したときのパン※


謎のパン 「パピロ」、「メロンパン」 の包装袋のデザインも昭和テイスト。
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パピロはミルクバタークリームが入っている甘い系。





「アンフライ」
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口の周りが油でベトベトになる。
揚げるフライは 「FRY」 だけど、「AN FLY」 をどう解釈するか。
FLYが動詞なら 「あんこ飛ぶ」、名詞なら 「ハエ」 。。。う~ん (悩)。




風薫る吉野



はじめて 「かぎろひ歴史探訪ウォーク」 に参加。
新緑時期の吉野は2度目です。
この時期の清々しさは体験済みなので、楽しみにやって参りました。

いろいろな花が咲いていました。
植物オンチながらも少しずつ分かるようになってきたのは、ハイキングを通じて知ったり、ブログに頂いたコメントのおかげ。
今回もあちこちにいっぱい咲いているのはシャガだとか、シャクナゲだとか分かるようになりました。
そして、いまだかつて見たことのないほどの量のワラビにびっくりでした。


さて、先生の歴史解説に出てきた大塔宮 (護良親王) は、以前、鎌倉市民だったワタクシにとって親しみのある方です。
鎌倉駅前から 「鎌倉宮 (大塔宮) 」 行きのバスに乗って、
親王が祭神の鎌倉宮 (幽閉された土牢がある) や近くの墓所にもお参りしたこともあります。




ワタクシの記事では珍しく植物関係の写真を多めにアップします。


吉野神宮
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金峯神社
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開花時期は鳥居横のシダレザクラがきれいでした。








電力会社やNTTなどの電柱番号札には、昔の地名や近くにあった施設などを知る手がかりがあります。
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いまどき木の電柱は珍しいが、番号札の上二つは関西電力、下はNTTだと思う。
・コモリ = 子守 (吉野水分神社が由来の小字)
・キンポウ = 金峰 (金峰山寺が由来でしょう)
・400V ハイデン = (400Vの電力を配電している意味か?)








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無人販売所
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販売されているペットは、メダカやカワニナなど (背後の小さな水槽がそれ)。
ネコは売っていません。





近鉄吉野駅で解散。
ホームを見ると、観光列車 「青の交響曲 (シンフォニー) 」 が!
発車時刻まであとわずか。
ここで別のスイッチが入ってしまい、飛び乗ってしまいました。
せっかくの機会でしたのに、みなさんとゆっくりお話できなかったのが残念です。
ホームでのお見送り、ありがとうございました。
新緑のエネルギーをたくさん取り込んで、気持ちの良いハイキングとなりました。




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2度目の乗車。
もう少し乗車時間が長いといいのだけど。。。





圓通律寺の降誕会 (平成29年)



高野山の真別処・圓通律寺の降誕会 (花祭り) 。
今年2017年も参列できました。

昨年の法要と少し違っていました。
イントロの花まつり和讃をウィメン・コーラス隊(?)が鈴を鳴らしながら朗々と唱えていました。
(昨年は、若い坊さんがソロで唱えていました)
おりんのような形をした大小さまざまな金属製の楽器(?)を使って、
縁を棒でこすって共鳴させたり、軽く叩いて残響させる伴奏もありました。

あと、今年は観音経偈は無く、般若心経が唱えられました。
ワタクシも珠数を手に唱和。
外陣の一般参列者は信者さんや圓通律寺の関係者がほとんどように見受けられました。


法要後、導師のお坊さんから参列者にご法話がありました。
圓通律寺の歴史紹介の中で、南都焼き討ちで炎上した東大寺を再興した俊乗房重源の話がありました。
重源さんは圓通律寺を再興したころ (当時は、専修往生院と呼ばれていた)、
毎日のように奥の院へ赴き、参籠していたそうです。
ある日、参籠中にうとうとしていたら夢に弘法大師空海が現れて、
おまえが東大寺を再興しなさいとのお告げがあった。
このお告げによって、重源さんは東大寺勧進職を引き受ける決心をした、
というような内容でした。
これはワタクシにとって初耳の話。
高野山のお坊さんから直接寺伝を伺うことができて、とてもうれしく思いました。

あ、そうそう、本堂の後方に 「当院中興大阿闍梨重源和上」 と書かれた重源さんの位牌が安置されているのですが、
昨年、東大寺の管長さんがその位牌を参拝するために圓通律寺へ来られたそうです。
(現管長さんか、前管長さんかは未確認)





(なむ) 「 今年も来ましたよ、重源さーん!! 」

  ・
  ・
  ・
あれっ? 返事がないゾ。

書置きがある。




    『 下ノ
       奈良博ニ
         居リマス
               南無阿弥陀佛 重源 』




おおっ! そうであった。
快慶展で奈良国立博物館に重源さん、出張中でした。
(快慶展にお出ましの浄土寺蔵重源上人坐像は寄託中なので、普段も奈良博におられます)



 ※ 2015年の圓通律寺参拝記事 →
 ※ 2016年の圓通律寺参拝記事 →




圓通律寺への山道

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ぬかるんでいる箇所多々あり。 → 近くにマムシが潜んでいる可能性あり。


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それなりの装備と覚悟で。






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物見遊山気分で行くような場所ではありません。





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  ※ 今回も、しげひラー、しました。



奈良で甘茶三昧



「おっさん、奈良で暴走」 第2弾。

≪甘茶三昧≫ の巻




4月8日は、お釈迦様の誕生日。
各寺院では、仏生会 (花祭り) が行われます。



【東大寺】


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シャカタン甘茶注ぎの行列待ちの人たちに、甘茶が振る舞われました。
飲み干したあと、撮り忘れに気が付いた。







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はい、次~。






【興福寺】


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はい、次~。






【百毫寺】

  「寒さの果ても彼岸まで、まだあるわいな一切経」

  お水取りが終わると春がやって来る、 で安心してはいけない。
  そのあとのお彼岸を過ぎても、4月8日の一切経法要が済むまでは寒い日があるので用心しなさい。
  ということだそうです。
  ただ、この日は蒸し暑くて、坂道と階段を上って境内に着いたときには汗だくでした。


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はい、次~。






【新薬師寺】

  本堂入口脇に甘茶の入ったやかんと湯呑み茶碗が置いてあり、セルフサービス。
  修二会の案内はあるものの、花祭り関連の案内はなかったので、
  これが甘茶と気づかなかった参拝者もいたのでは?

  花御堂も本堂内の気付かれにくいところに置いてあったので、素通りした参拝者もいたのではないかと思います。
  かなり小さめの花御堂で、しゃがんで甘茶をシャカタンに注ぎました。
  堂内は撮影禁止なので、花御堂の写真はなし。

  午後5時からの法要、午後7時からの松明と法要に参列。
  新薬師寺の修二会は初聴聞。
  目の前で神名帳 (二月堂修二会とまったく同じ) が聞けたので、満足いたしました。


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古式ナル意匠ノぽすたあニ我驚愕ス。







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甘茶の味が各寺院によって微妙に違っているのも面白かった。
それぞれの法要にも参列したので、県外ビジターにとって甘茶巡りはこれが精一杯でした。


五條で寄り道



井上内親王の俤を訪ねた五條巡り。
「寄り道」 篇です。




■ 楊貴氏墓誌出土地

  吉備真備の母・楊貴氏 [やぎし] の墓誌が出土したとされる場所は、五條市立五條西中学校の近く。

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  説明版から抜粋:
   「この墓誌は享保13年(1728) にこの付近の山中で偶然出土したと伝えられますが、
    現存せず、右の銘を写した拓本だけが残っています。
    この楊貴氏墓誌は、縦10.7cm、横13.7cm、厚さ2.8cmの塼 [せん] に文字を刻んでいたようです。
    銘文には、奈良時代の政治家である吉備真備が、天平11年(739) に亡き母を火葬して墓を営んだ時に
    これを作ったとあります。
    楊貴氏の墓とこの墓誌については謎が多く、塼と土器を用いた火葬墓であったと思われますが、
    正確な位置は分かりません。
    毎年9月12日、地元の人びとが現在の墓の周辺を清掃して慰霊祭を催すなど、大切に守られています。」

  それにしても、なぜこの地に埋葬されたのでしょうか。





■ 藤原武智麻呂の墓所

  藤原武智麻呂は、藤原不比等の長男で藤原南家の祖、光明皇后の兄。
  子には、豊成 (中将姫の父) や仲麻呂 (恵美押勝) などがいる。
  天然痘で相次いで死去した藤原四兄弟のひとり。
  五條にある榮山寺は武智麻呂の創建と伝わります。

  武智麻呂の墓は、榮山寺北側の小山の上にあります。
  榮山寺の東隣りにある駐車場の奥から登っていきます。
  思いのほか急な山道でした。


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墓石には江戸時代の元禄6年(1693) 銘あり。




  榮山寺境内にある八角堂は、武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したと伝わっていて、
  奈良時代の貴重な建築として知られています。

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■ 餅商一ツ橋

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  今回の五條巡りで、JR五条駅で降り、観光案内所に立ち寄ったあと、まず向かったのがここ。
  日曜日定休、売り切れ御免でお昼頃には閉店することもあるので、県外ビジターにはハードルが高いのだ。
  焼き餅と草餅を所望したのに、おばちゃん、間違えて草餅をきなこ餅にしてくれていたと気づいたのは、
  吉野川の土手上のベンチで春の日差しを浴びながら頂こうとしたとき。
  きなこも大好きなので、のーぷろぶれむでしたが。





■ まことちゃん地蔵

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  二度目の訪問。


「グワシ」 で指がつりそうになったの図 (前回訪問時)
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  まことちゃん地蔵の前で、おっさんが 「グワシ」 のポーズをしたまま気絶、なんて記事が新聞に載ったらカッコ悪いし、
  今回はやめといた。






  帰りの電車まで少し時間があったので、駅の待合室でベンチに座って寛いでいるとき、
  ふと横を見たら座布団のゴーカスターがお見送り。

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  次回、五條を訪れるときは何をキーワードにしようか。


井上内親王の俤を訪ねて五條へ (2)




■ 御霊神社〔本宮〕 (五條市霊安寺町)


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 【祭神】
    本 殿 :井上内親王
    南脇社殿:他戸親王
    北脇社殿:早良 [さわら] 親王
    別 宮 :火雷 [ほのいかずち] 神


  本殿の主祭神・井上内親王のお姿とされている木造神像はこちら → (pdf, 1.4MB)


  早良親王については、「ハイキング立ち寄り大明神 (28) 」 で紹介したので、ここでは省略します。


  御霊神社では毎年10月9日に節句祭があって、子の火雷大神が御渡りして本社の母・井上内親王と対面するお祭りがあるそうです。






■ 井上内親王・宇智陵 (五條市御山町)


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■ 他戸親王墓


近くの井上内親王陵からも見える丘の上の小さな森が、他戸親王のお墓。
お母さんにいつも見守られています。


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背景は金剛山。








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  御霊さんとされているので、お墓は二人とも山あいの薄暗いところにひっそりあるのではと想像していましたが、
  まったく違いました。
  見晴らしがまずまずの高台にあって、まわりは柿畑が広がっています。


  御霊神社〔本宮〕のほか、分祀された御霊神社が同じ五條市内に20数社もあるのは、
  土地の人々が御霊さんを恐れたということ以上に、気の毒に思う気持ちが強かったからではないか。
  五條の地や人々は、井上内親王にずっと守られてきたと言ってもいいかもしれません。



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(イラストマップから)




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なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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