おいなりさんのお店



奈良の 「もちいどのセンター街」 に今年2017年9月にオープンしたおいなりさんの専門店に、ようやく伺うことができました。
おいなりさん、好きなのですよ。

「おいなり屋さん macan」 というお店。
外観が可愛らしい感じのお店なので、おっさんお一人様は扉を開けるのに少々気後れしましたが、快く迎え入れてくださいました。
にゅうめんランチセットをいただきました。
(このセットではいなりは5個との事前情報でしたが、2個のようです)
食材は奈良産が使われているとのこと。
セットのいなりは複数メニューから自由に選べて、今回選んだのはわさびと梅しらす。
とてもおいしかったです。
ほかの種類もおいしそうなので、また伺いたいと思います。
ごちそうさまでした。


もちいどのセンター街にある 「夢CUBE」
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「夢CUBE」 の一画にある 「macan」
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 ブログ「鹿鳴人のつぶやき」で紹介されています。 →





≪余談≫

 その後、近くの 「ひがしむき商店街」 を抜けようとしたところ、
 萬勝堂の店先にあった “ どら焼きいちご ” が目に入ってしまい、素通りできず。


食後のデザート “ どら焼きいちご ”
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 いちごは奈良県産あすかルビーで、生クリームとの相性もよい。
 二月堂北の茶所でおっさんがどら焼きいちごを嬉しそうに口にしているのを見ても、吹かないように。



河内源氏の里


河内源氏ゆかりの史跡を巡りました。
大阪の羽曳野市、富田林市、太子町が接するあたりが河内源氏の本拠地とされる地域です。


1.壷井八幡宮 (大阪府羽曳野市壺井)

 ※ 壷井八幡宮について(羽曳野市HP)→

多田(源)満仲の三男・頼信は河内守に任命されて、現在の壷井の地を本拠としたので河内源氏の祖と言われます。
その頼信の子・頼義が石清水八幡宮を勧請したのが、壷井八幡宮のはじまりとされています。
河内源氏の氏神・壷井八幡宮の境内にある壺井権現社、六孫王神社(京都府京都市)、
多田神社(兵庫県川西市)をあわせて源氏三神社と呼ばれています。
今回の参拝で三神社コンプリートしました。


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清泉「壷井」
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八幡宮前にあって地名の由来になった。





河内源氏に係わる系譜
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(通法寺跡近くの説明板から)

河内源氏は関東にも勢力を広げ、のちに頼朝らが活躍したのはご承知のとおり。







2.通法寺跡 (大阪府羽曳野市通法寺)

 ※ 通法寺跡について(羽曳野市HP)→

源頼義によって建てられたとされる、河内源氏の氏寺。
南北朝時代に焼失した通法寺は元禄年間に江戸幕府により再興されたものの、
明治時代の廃仏毀釈運動で廃寺となり、その跡地は現在、山門や鐘楼を残すだけになっています。


山門には「源氏祖郷」とある。
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通法寺旧境内
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3.源氏三代の墓

通法寺旧境内にある源頼義の墓
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墓前の石灯篭には通法寺再興者のひとり、江戸幕府老中・柳沢吉保の名が寄進者として彫られています。

通法寺跡から徒歩数分の丘の上に八幡太郎義家の墓と、河内源氏の祖・頼信の墓があります。
通法寺跡からすぐ近くですが、行政区画では太子町です。


源義家 (八幡太郎) の墓
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源頼信の墓
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源義家 (八幡太郎) の墓所







≪余談1≫

源頼信の墓の近くには、隆光僧正の墓もあります。

東大寺、法隆寺、長谷寺、室生寺などの奈良の主だった寺院は、
江戸時代に徳川綱吉、桂昌院、隆光僧正のおかげで再建、修復されて現在に至っているのですが、
隆光僧正はほとんど知られていないようです。
綱吉が亡くなったあと失脚し、故郷の奈良にあった超昇寺に引退して享保九年(1724) に死去。
隆光僧正のお墓は超昇寺(廃寺)近くの佐紀幼稚園(閉園)の隣りと、通法寺の2か所にあります。
通法寺にも墓があるのは、徳川家の祖とした源氏ゆかりの通法寺の再興を
柳沢吉保ともに行ったためのようで、奈良の墓所から分骨されたそうです。
悪人とみなされた隆光僧正の業績を顕彰していた人がいたのでしょう。

隆光僧正の墓
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ひび割れて針金でくくられている墓石が痛々しい。






≪余談2≫

今回の散策ルートで出合った眺望。


観音塚古墳 (1)
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斜面左側に石室開口部の一部が見えている。





観音塚古墳 (2)
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石室から葛城山/金剛山方面が望める。






敏達天皇陵付近から見た二上山
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(2017.12.2)



快慶の阿弥陀三尊in高野山



高野山の五ノ室谷にある光臺院は、白河天皇の第四皇子・覚法法親王が開基して以来、皇室との関係が深く、
京都の御室御所の別院とされたため、高野御室とも呼ばれています。

今年2017年秋の高野山行きの目的のひとつは、快慶の阿弥陀三尊がおわす光臺院の参拝。
2013年の参拝以来、二度目です。

予約した時間に玄関で呼び鈴を押すと、しばらくして寺庭婦人らしい方がお出でになり、案内をしてくださいました。



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(1) 阿弥陀三尊像 (快慶作)

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(絵葉書から拝借)



 光臺院の本尊です。
 美しいです。
 今年2017年春、奈良国立博物館で開催された 「快慶」 展に出陳されなかった快慶作品のひとつ。
 展覧会場では、写真パネルが展示されていました。
 快慶展図録の157ページに載っています。
 快慶の晩年の作品 (図録には承久三年(1221)頃の作とある) です。
 来迎印を結ぶ阿弥陀如来像をセンターにして、両脇の勢至さんと観音さんが腰を少しかがめて立つ三尊形式は
 よく見ますが、光臺院像は現存最古品で、この形式が快慶によって始められたことを示す作品とのこと。
 繊細極まりない光背も、当初のものだそうです。
 快慶がこの像で最もこだわったのは、燈明による影の表情だったらしい。
 三尊は厨子の中に安置されていて、ロウソクによるお像の影が厨子の背後に揺らめく様は
 いつまでも眺めていたい気持ちにさせられます。
 なお、この阿弥陀三尊像は本尊のため、展覧会などで寺外へ持ち出すことはされないようです。


  - 快慶が生涯にわたり追求した三尺阿弥陀の到達点をしめすのが、光臺院像である。・・・・
    快慶の最晩年の作になる光臺院像は、来迎形阿弥陀のまさに理想的な姿であり、
    快慶芸術の集大成というにふさわしい。 -  (快慶展図録より)





(2) 豊臣秀次墓

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 光臺院の裏にあります。
 自刃の経緯は省略しますが、青厳寺 (現在の金剛峯寺) で切腹後、首は検分のため京へ運ばれたので、
 光臺院にはムクロが埋葬されていることになります。
 秀次の首塚のある京都の瑞泉寺にもお参りしているので、これで一体化なりました。
 京都と高野山それぞれに埋葬されているのは平重衡の場合と同様ですが、埋葬部位が逆ですね。
 秀次とその家族や関係者に対する秀吉の仕打ちは、あまりにもひどい。






(3) 織田秀信墓

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 こちらも光臺院の裏にあります。
 幼名を三法師と呼ばれていたこの人は、織田信長の嫡孫。
 岐阜中納言とも呼ばれた人。
 関ヶ原の戦いで西軍に属して籠城したが、降服。
 剃髪後、高野山に入ったが、麓の橋本で病死。

 豊臣秀次や織田秀信といった敗者がなぜ光臺院に埋葬されたのか、伺うのを忘れてしまいました。






(4) 道助親王墓

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 こちらも光臺院の裏にあります。
 後鳥羽上皇の第二皇子。
 出家し、仁和寺の門跡を継いだものの、父後鳥羽上皇による承久の乱の影響で門跡を譲り、高野山へ。
 光臺院で亡くなられたので、こちらに御陵が築かれたようです。
 やはり、敗者のイメージが付きまといます。





※ 光臺院は観光寺院ではありませんので、拝観を希望する場合は電話か葉書で予約が必要です。
  希望の日時を連絡しても、ご都合が悪くて断られたこともありますので、要注意です。
  拝観料は示されていませんが、時間を割いて丁寧に案内してくださることを考えれば
  気持ちを包んでお渡しするのがよろしいかと。





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今回ご住職が不在だったため、ご朱印は日付けなしの書置きを頂きました。
よって前回参拝時のものをアップ。



南山城古寺巡り2017 (2)



(つづき)



(2)現光寺


“オマエノ本性、スベテ見通シテヲルゾ!”


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  正面から見たお姿 →




への字に口を結び、目を細めて突き刺さすような視線に、気持ちが安らぐというより、
居住まいを正さねばという気持ちにさせられます。
坐像の十一面観音さんは珍しいです。
像高74cmと小さめの像ながら、威厳ある姿に圧倒されます。

奈良博の 「貞慶」 展と京博の 「南山城の古寺巡礼」 展で2度対面済みで、今回が3度目です。
今回はホームです。
ホームといっても、本堂の前にある収蔵庫におわします。
現光寺は廃仏毀釈で荒廃し、現状はやや荒れた本堂のほかに鐘の無い鐘楼があるぐらいで、寺院らしい建物はありません。
無住寺です。
本堂の十一面観音坐像をお守りするため博物館に寄託しようという話が出たようですが、
地元の方々などが尽力して収蔵庫を境内に建てて今日まで守ってきたそうです。

特別公開時を除いて、拝観するには現光寺を管理している海住山寺に10名以上で事前申し込みが必要です。
このため、拝観実現のハードルがとても高いです。
木津川市が秋に行っている 「社寺秘宝・秘仏特別開扉」 でも、2015年までは上記の条件でした。
昨年2016年の 「社寺秘宝・秘仏特別開扉」 では、ボンネットバスによるバスツアー参加者のみ拝観できました。
しかし、特別開扉期間中3回あったこのバスツアーは早々に満員となり、拝観が叶いませんでした。
そして今年2017年は、例年どおり木津川市 「社寺秘宝・秘仏特別開扉」 に参加するだけでなく、
ほぼ同時期の 「京都非公開文化財特別公開」 にも参加することになりました。
このため、拝観条件が京都非公開文化財特別公開に準じることになり、一気にハードルが低くなりました。
しかも開扉期間が10月28日~11月12日と異例の長さです。

さて、来年はどうなる?




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収蔵庫
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現光寺




南山城古寺巡り2017 (1)



2014年に京都国立博物館で開催された 「南山城の古寺巡礼」 展は、とても印象に残る素晴らしい展覧会でした。
仏像などの寺宝を出陳したのは、京都府南部にある酬恩庵(一休寺)、寿宝寺、観音寺(大御堂)、蟹満寺、神童寺、禅定寺、海住山寺、現光寺、笠置寺、岩船寺、浄瑠璃寺で、奈良県民ではないワタクシから見たら、ほとんど奈良の寺院とみなしてしまいます。
この展覧会のサブタイトル 「祈りと癒しの地」 南山城に点在するこれらの古寺のうち、まだ参拝したことのなかった寿宝寺と現光寺へ行ってきました。




(1)寿宝寺

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  ※拝観は事前予約が必要です。



拝観のしおりから、由緒を要約。

- 文武天皇景雲元年(704) に創建と伝わる。
  古くは 「山本の大寺」 といい、七堂伽藍を備えていたが、度重なる木津川の洪水により、移転を繰り返した。
  享保十七年(1732)、現在地に移転し、明治の初めに近隣の寺々を合併した。
  平成九年(1997) に平成の大造営を行い、260年ぶりに改築した。 -


何といっても、こちらはリアル千手で知られている十一面千手千眼観世音菩薩立像です。
像高 169.1cm、榧材の一木造りで、彩色を施さない檀像。

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( 「南山城の古寺巡礼」 展で)



手のひらのいくつかに、墨で眼が描かれています。
収蔵庫の扉を開けた状態の昼の表情と、扉を閉めて庫内照明に照らされた夜の表情を拝見させていただけます。
たしかに、表情が違って見えます。

リアル千手は寿宝寺のほかに、葛井寺と唐招提寺が有名ですね。



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寿宝寺






≪余談≫

 寿宝寺境内の東隣りに、山本駅跡の碑があります。
 古代の主な街道の要所に置かれた駅家がここにあったようです。
 『続日本記』 和銅四年(711) 正月二日条に、「綴喜郡山本驛」 として記されています。

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(つづく)

NINJA City IGA




伊賀市役所
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「忍者市」 を宣言した伊賀市。
旧上野市だった伊賀市の中心部が主な観光地になっているようです。
再建された上野城と城下町の風情が残る町並み、松尾芭蕉の生家やゆかりの場所、伊賀忍者の里、鍵屋の辻など
歴史探訪がメインとなります。


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伊賀鉄道の車両は、元は東急の車両。
東急にはよく乗っていたので懐かしい。
松本零士のデザインで忍者列車になっています。

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「こヽわ 西丸之内    清酒 瓢竹」
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いつの時代の街区表示板だろう。








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和光の時計台はありません。








松尾サンち。
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蓑虫庵の隣にある芭蕉堂は芭蕉の墓所がある義仲寺の芭蕉堂を模したもの。
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伊賀鉄道上野市駅前には、松本零士 「銀河鉄道999」 ゆかりのメーテルと鉄郎のブロンズ像があります。

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≪余談≫

 NHKのバラエティ番組 「鉄オタ選手権」 に出てくるメーテルがいい味出してるよ。
 スペシャル動画 「メーテルの1日 “ハルカスに行きたくて・・・” 」 →



福智院の地蔵盆



奈良・福智院の地蔵盆に少しだけ顔を出してきました。
(2017年7月23日)



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本尊・地蔵菩薩
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(パンフから拝借)


丈六の大きなお地蔵さんです。
光背には地蔵化仏がびっしり。
その中に、閻魔さんがこっそりいらっしゃいますよ。




定刻になり、法要が始まりました。
近隣の真言律宗寺院から僧侶の方々が出仕されました。
ワタクシは堂内で聴聞、焼香しました。



法要が終わったところで、数珠繰りです。
数珠繰りの様子を撮ろうしていたところ、その場の流れでなぜか数珠繰りをすることに。
なので、終わったあとに数珠のみ撮影。
数珠繰りをやったのは初めてだったので、いい経験になりました。


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子供たちのわらべ歌が始まったところで、タイムアップ。
子供たちによる数珠繰りは、わらべ歌のあとでやったようです。


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この7月23日をメインに、奈良市内のあちこちで地蔵盆が行われます。




忍性菩薩生誕800年記念法要



忍性さんの生誕800年となる2017年7月16日、奈良・般若寺近くの北山十八間戸で記念法要がありました。


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般若寺の副住職さんが、忍性さんの業績を多くの人に知ってもらいたいと企画したそうです。
その趣旨に賛同して、宗派を超えて出仕された僧侶もいらっしゃいました。
法要には副住職さんの想定よりずっと多い150人ほどが参列したようです。
忍性さんのお導きがあったのでしょう。
手作り感あふれる素晴らしい法要でした。

    ・奈良新聞 →

    忍性菩薩生誕800年記念 特設サイト →


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ここにいた人たちは大仏さまを拝んでいたかも。
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日ごろ、北山十八間戸を管理しているのは近所の方で、
今回の法要でも準備や参拝者の対応などのお手伝いされていました。
大感謝ですね。






さて、北山十八間戸での法要のあと、般若寺へ移動。
境内にある忍性菩薩利生塔の前で法要がありました。

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一時活動拠点だった般若寺には忍性さんゆかりの物は何も残っていないため、数十年前にこの利生塔を建てたそうです。
そして生駒市の竹林寺にある忍性さんの墓から分骨されて、こちらに納められているそうです。
これは初耳でした。
忍性さんの遺骨は、極楽寺(鎌倉市)、額安寺(大和郡山市)、竹林寺(生駒市)、般若寺(奈良市)の
4か所に分骨されていることになります。

般若寺での法要が終わったところで、参列者に文殊菩薩と書かれた般若寺特製の手ぬぐいが授与されました。
また、記念グッズ(トートバッグ、忍性さん缶バッジ、文殊菩薩絵葉書)や忍性さんの絵本の販売もありました。
この売り上げは、東大寺と宝山寺の各福祉事業団に寄付されるそうです。





≪余談1≫

   今回の法要には般若寺副住職さんの趣旨に賛同して、別の宗派のお坊さんも出仕されていました。
   そのうちの一人で、横顔がなんとなく忍性さんに似ている方と偶然お話しする機会がありました。
   で、聞いてびっくり、なんと高野山の三寶院のお坊さん!
   三寶院さんには平重衡の墓 (首塚) があるので、この数年ほぼ毎年お参りに伺っているのですが、
   初めてお目にかかる方でした。
   まさか重衡ゆかりの般若寺で偶然お会いし、お話しできるとは!

   鎌倉時代、三寶院の住職が高野山にちゃんとした声明が伝わっていないことを憂い、
   大和・中川寺を本拠とする聲明を高野山に移しました。
   これが高野山の声明 (南山進流) として今に伝わっているのだそうです。
   中川寺は今の般若寺と円成寺の間にある中ノ川町あたりにかつてあり、その開基は実範という人。
   三寶院さんはゆかりの中川寺・実範上人の墓所 (中ノ川町) で法要を営まれているそうです。
   般若寺さんも実範上人の命日に法要を営まれているとのこと。
   そのようなご縁もあって、三寶院さんは今回出仕されたそうです。

   たしかに 「南山進流・中川寺・実範上人」 のご縁もあるでしょうが、
   ワタクシは平重衡が導いてくれた気がしてなりません。

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   南都焼き討ちの罪で処刑された平重衡の首は、般若寺の門前の鳥居に釘付けで晒されたと 『平家物語』 にあります。


平重衡供養塔 (般若寺)
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≪余談2≫

    忍性さんは、南都焼き討ち後の東大寺再興のために俊乗房重源さんが建立した阿弥陀寺 (山口県防府市) の
    第14代住職でした。

阿弥陀寺・本堂
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池田の呉羽・綾羽



機織 [はたおり] 姫の呉羽 [くれは]、綾羽 [あやは] ゆかりの地は、関西を中心に点在しています。
これらの土地では大筋は似ているものの、それぞれに微妙に違う由緒が伝わっています。
クレハトリ、アヤハトリもいろいろな表記があって、逐一説明するのも面倒なので、省略します。

先日、ゆかりの地のひとつ、大阪府池田市を訪問しました。




(1) 唐船が淵

  呉織 [くれはとり]、漢織 [あやはとり] たちを乗せた船が着いたところ。
  (呉の国からやってきたのなら 「呉船が淵」 じゃね?)
  大阪湾に注ぐ猪名川の東川岸で、五月山の麓です。
  岸辺に記念碑と説明板があります。 (下の写真にも小さく写っている)


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(2) 染殿井

  呉織、漢織が糸を染めるために水を汲んだ井戸の跡。
  インスタントラーメン発明記念館の南側にあります。
  住宅やマンションに囲まれるように石碑が建っています。


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(3) 星の宮

  呉織・漢織が機を織っていた場所で、天から七つの星が降りてきて
  明るく照らしたので夜遅くまで作業できたといいます。
  ロマンティックな話ですね。
  そしてここに星の宮という神社が建てられ、
  降りてきた星たちを明星大神 [みょうじょうおおかみ] として祀っています。
  織姫、七つ星といったキーワードから、七夕や乞巧奠との関連がありそうですね。


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(4) 伊居太神社

  [いけだじんじゃ] と読みます。
  池田市綾羽にある神社。
  正式名称は、穴織宮伊居太神社 [あやはぐう いけだじんじゃ] といいます。
  こちらでは、穴織を [あやは] と読みます。
  祭神は、穴織大明神 (アヤハトリ)、応神天皇、仁徳天皇の3柱。


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(5) 呉服神社

  [くれはじんじゃ] と読みます。
  祭神は、呉服大明神 (クレハトリ)、仁徳天皇の2柱。
  絹織物のことを指す呉服は、この [くれは] または [くれはとり] から来ています。


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社紋は苧環 [おだまき] でしょうか。かわいらしい。
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池田市に伝わる話は、池田市立図書館のHPにある 呉織・漢織 (クレハトリ・アヤハトリ) をご参考まで。









≪余談≫

 ワタクシがこれまでに訪れた呉織・漢織ゆかりの地は以下のとおり。


■ 於美阿志神社 [おみあしじんじゃ] (奈良・明日香村)

  祭神は、呉から呉織・漢織たちを連れ帰った阿智使主 [あちのおみ] です。


■ 糸井神社 (奈良・川西町結崎)


■ 木嶋坐天照御魂神社:通称「蚕ノ社・かいこのやしろ」 (京都市右京区太秦森ケ東町)


■ 喜多向稲荷神社 (西宮市松原町)

  小さな神社です。
  祭神は3柱あって、そのうちの織姫大明神は呉織・漢織のことでしょう。
  鳥居の横には、「史蹟 漢織呉織松・染殿池」 と彫られた石碑があります。
  呉の国からやってきた漢織と呉織が武庫 [むこ] の港に上陸したあと、
  この近くにあった松の木の傍らで休憩したといいます。
  漢織と呉織はこの松の木の近くにある池で糸を染めて、布を織ったと伝わります。
  松の木は今はありませんが、池は社殿の横に現存しています。
  このあたりは 「漢織呉織伝承地」 として、2014年に文化庁から名勝の指定を受けました。


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※ 津門 [つと] = 水門 [みなと] = 港 (か?)

   昔はこの神社のあたりまで海があって、港があった。





訪問した中では、池田市にあるゆかりの地の推し度が一番強い感じがしました。



マルツベーカリーのちくわパン




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JR桜井駅の南口にあるパン屋さん 「マルツベーカリー」。
店の外観も、内装も、売られているパンも昭和テイストで、懐かしさ度が高い。
内装は改装されてレトロ感が少し薄まった感じですが。

売り切れだったり、日曜定休を知らずに行ったりで、なかなか手に入らなかった 「ちくわパン」。
ようやく頂くことができました。
食べてみたいと思ってから、かれこれ10年ほど経ったのではないでしょうか。

フライにしたちくわときゅうりが挟んであるパン。
びっくりするほどおいしい訳ではないけど、惣菜パンとしてはなかなか。


今回のミニアンフライ、ロースハム&たまご、ちくわパン
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商品名や値段のシールがアナログです。
(カバンの中に入れていたので、少し潰れているのはご愛敬)




危険なのは、アンフライ。
あんこを挟んだ食パンを油で揚げたもの。
禁断の組み合わせです。
前回の初めてのときは、満腹なった食後のデザートとして頂こうとしましたが、
あんこと油でヘビー級なのでデザートにならない。
甘党のワタクシでもラストの数口は涙目に。

おいしいので、食べきりましたけどね。

前回の反省から今回はサイズ(小)のミニアンフライを選んで、のーぷろぶれむでした。





※以前購入したときのパン※


謎のパン 「パピロ」、「メロンパン」 の包装袋のデザインも昭和テイスト。
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パピロはミルクバタークリームが入っている甘い系。





「アンフライ」
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口の周りが油でベトベトになる。
揚げるフライは 「FRY」 だけど、「AN FLY」 をどう解釈するか。
FLYが動詞なら 「あんこ飛ぶ」、名詞なら 「ハエ」 。。。う~ん (悩)。




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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
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