平重衡を追う(66)~ 隼神社



奈良市の小西さくら通りと三条通の交差点を少し南に行くと、隼 [はやぶさ] 神社があります。
別名、角振明神、角振隼明神。
角振新屋町 [つのふりしんやちょう] にあって、ビルの谷間にひっそりと鎮座しています。
由緒書によると、祭神は角振隼総別命 [つのふり はやぶさわけの みこと] で、
 「神武天皇の大和平定に寄与し給ふた大神で、昔から柿を神木として神殿を設けず」
とあります。
当初は、祠があったようです。


隼神社
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狭い境内にある木は神木の柿でしょうか?
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うしろの小さな祠は宗像社。




実は、














  「ここも燃やしちゃいました」 (T.S衡)
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このせいで当初の祠は無くなり、その後は柿を神木として仰いだと、由緒書にある。

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  「若草山焼きの焼き払いボランティア活動へ向かう前に、神社の様子をこっそり見に来ました。
   僧兵に見つからないかとヒヤヒヤでしたよ」 (T.S衡)

     ■■は現場に戻ると言われていますからね。





南都の僧兵
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「逃げる鹿ないっしょ」



南都焼き討ちの日




今年もやって来ました、12月28日。

“ 南都燈火会記念日 ”


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     東大寺
     手向山八幡宮(旧)
     興福寺
     率川神社
     隼神社
     般若寺
     元興寺
     法華寺
     不退寺
     超昇寺 (現在廃)
     佐紀神社
     正暦寺 〔以上、奈良市内〕
     當麻寺 〔葛城市〕
     神童寺 〔京都府木津川市〕
        → 拝観のしおりには南都焼き討ちの際、平資盛によって焼かれたとあるが、平重衡の間違いでしょう。



 大火災は、夜になって暗いので明かり用に灯した松明の火が、折からの強風にあおられて燃え広がったためと、『平家物語』(覚一本) は失火が原因との立場です。
 一方、九条兼実の日記 『玉葉』 には南都焼き討ちが事前に計画されていたことがわかる一節が記されていますし、『山槐記』 や 『延慶本平家物語』 の記述も踏まえると、焼き討ちは当初からの計画的な作戦だったとする研究者が多いようです。
 ほんとうに失火なら奈良時代の建築である正倉院や転害門も焼失して不思議ではありませんし、奈良の中心から外れた場所にある正暦寺や當麻寺の被害が偶発的な失火では説明できませんね。

 東大寺大仏殿について言えば、その2階に避難していた人々(足の弱った老僧、女性、子どもなどの戦争弱者) 1,700余人が平家軍によって放たれた炎に巻き込まれ、天を響かし、地を動かすほどの叫び声をあげながら焼け死んだことが 『延慶本平家物語』 に記されています。




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治承四年(1180)12月28日の南都焼き討ちにより、ここで1,700余人が焼死。
大仏さまはこの人たちの墓標と見なすこともできるのでは。

合掌






≪余談≫

東大寺東塔院跡発掘現場 (2016年11月)
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南都焼き討ちによる焦げ跡(赤矢印)が見られた貴重な機会でした。



播州清水寺



西国三十三所第25番札所・清水寺。


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兵庫県加東市にあります。
京都の清水寺と区別するために、播州清水寺とも呼ばれます。
播州、つまり播磨の国にある清水寺です。
開山は法道仙人というナゾの人物。
一説には、インドの仙人ということですが、
播磨地方の寺院には法道仙人開基と伝わるところがたくさんあります。

<参考> 法道仙人像 (忉利天上寺)
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六甲山地の摩耶山にあります。




根本中堂は推古天皇勅願所と伝わります。

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本尊・十一面観音菩薩立像が30年ぶりにご開帳していました。 (2017年11月1日~11月30日)
拝観のしおりには、根本中堂が大正二年に炎上した際、「自ら避難」 したとあります。
日ごろから、人目を忍んで自ら避難訓練をされていた成果なのでしょうか。




大講堂は聖武天皇が行基菩薩に作らせたと伝わります。

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西国第二十五番札所になっています。
札所本尊は十一面千手観音菩薩坐像で、大正時代に製作された新しい像です。
 記事 →

境内からは明石海峡大橋が見えましたよ。




さて、この播州清水寺。
平家ゆかりと伝わる寺院でもあります。


薬師堂

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創建は池の禅尼と伝わります。
平清盛の継母です。
少年だった源頼朝の助命を清盛に要請したことでも知られています。
堂内には、せんとくんの作者・薮内佐斗司先生によるユニークな十二神将が安置されています。
現在のお堂は、昭和59年に再建されたもの。



多宝塔(跡)

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建立は祇園女御と伝わります。
『平家物語』 にも出てくる女性で、白河法皇の晩年の愛人。
一説には、平清盛の生母とも。


現存していない常行堂は後白河法皇、阿弥陀堂は源頼朝によって建立されたと伝わります。


なんだか、ビッグネームがあり過ぎて、う~ん。。。。


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≪余談≫

 京都テレビなど関西のローカル局を中心に放送されている 「西国三十三所 観音巡礼 祈りの旅」
 25分ほどのこの番組では、毎回、順を追って一寺ずつ紹介されています。
 札所本尊の観音さんや寺の歴史、見どころなどが紹介され、ご住職のお話もあります。
 スイーツ巡礼と称して、草創1300年を記念した銘菓も紹介されています。
 番組の最後で、ご詠歌が唱えられるのも特徴です。
 兵庫県在住なので、ワタクシはサンテレビで観ていますが、次回は第三十番札所・宝厳寺が紹介されるようです。

 この番組、一点だけ、ワタクシの気に入らない部分がありまして、
 巡礼の雰囲気づくりのためか、巡礼装束の男性が映像に登場するのですが、
 歩いているシーンで右手の杖を突くタイミングを歩調にまったく合わせていないのですよ。
 イラッとさせられるのは、ワタクシだけでしょうか。



西国三十三所草創1300年 特設サイト →


源平ゆかりの高野山寺院 (番外)



その他にもある源平ゆかりの高野山スポット。



(1) 対面桜


中門
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対面桜
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(2015.5.25)



 2015年に再建された中門の北側に桜の木があります。
 傍らの説明板によると、

 - 対面桜 “Taimen Zakura (Face-to-face Cherry Tree)”
   平安時代の久安五年 (1149) 5月に大塔が落雷で焼失し、修造奉行として平清盛が任命され、
   保元元年 (1156) 4月29日に大塔を再建しました。
   修造が終わり、供養のため登山された折、大塔の桜の樹のもとに弘法大師が現れてその功を讃えられ、
   清盛はそれ以来ますます随喜崇敬の念を深めました。
   平清盛と弘法大師が対面した場所にあった桜の木は 「対面桜」 と呼ばれるようになりました。 -

 今見る桜の木は、この言い伝えをもとに比較的最近植えられたものでしょうね。
 「ふぇいす・とぅー・ふぇいす・ちぇりー・つりー」 って表現でいい?





(2) 鳥羽天皇皇后得子 高野山陵


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(2013.10.28)



 藤原得子 (美福門院) は、鳥羽法皇の后。
 皇位継承に係る陰謀が渦巻く中で、保元の乱の原因を作ったとも言われています。
 高野山に帰依していた美福門院は、死後、高野山に葬るよう遺言したそうです。
 女人禁制の高野山は埋葬の賛否で大騒動になったようですが、結局、遺言どおりになりました。
 武家政権が始まったのは、美福門院が亡くなった永暦元年 (1160) の約30年後でした。
 御陵の奥のほうを見ると、五輪塔と無縫塔が隣り合って立っていました。
 御陵は蓮華谷にあって、不動院が供養奉仕をされているとのこと。

 高野山霊宝館で2017年春に開催された 「霊場高野山 納骨信仰の世界」 展で、
 『紀伊国名所絵図』 から、永暦元年 (1160) 美福門院の遺骨を弟の備後守時通が高野山へ納骨するため
 高野山町石道を登る様子の絵が紹介されていました。





(3) 六角経蔵


奥に見えるのが六角経蔵
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把手を押して回します。
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(2017.11.10)



 壇上伽藍にある六角形の経蔵で、荒川経蔵とも言われます。
 手元の資料によると、以下のとおり。
   美福門院が六角経蔵を建立したのは鳥羽法皇の菩提を弔うためで、
   紺紙に金泥で浄写した一切経をこの経蔵に納めた。
   この紺紙金泥一切経は、美福門院が領地の荒川荘 (現在の紀の川市桃山町付近) を灯明料として寄進したことに
   由来して、荒川経とも呼ばれる。
   火災で何度か焼け、現在の建物は昭和九年 (1934) に再建されたもの。
   経蔵の基壇の上のところに把手がついていて、それを押すと上部が回転するように作られていたが、
   現在の建物では枠だけが回るようになっている。
   一回りすれば一切経を読誦した功徳が得られると言われている。
   この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は現在3,560巻ほどが現存して、重要文化財として霊宝館に収蔵されている。

 ワタクシも押し回しましたが、以前に比べてあまり力を入れなくても回るようになった気がします。(改良された?)
 功徳がたくさん得られるように、5周しました。



源平ゆかりの高野山寺院 (7)



7.五坊寂静院 [ごぼうじゃくじょういん]

以前、記事にアップしたことがあるので、ここでは概略だけ。

 貞暁ゆかりの寺院で、一心院谷にある。
 貞暁は源頼朝が正室の北条政子とは別の女性に産ませた子で、
 政子らに殺されることを恐れて仁和寺で出家し、その後高野山に入った人。
 後に、貞暁に野心の無いことを知った政子は貞暁に帰依し、
 源氏一族の菩提を弔ってもらうため資金援助もしたらしい。
 貞暁は五坊のひとつ、経智坊にいて、そこに阿弥陀堂を建てて
 胎内に父・頼朝の遺髪を納めた阿弥陀如来像を安置したり、
 源氏将軍三代(頼朝、頼家、実朝)の供養塔を建てたりした。


現状の当院の建物の扉は閉まっていて、人の気配もまったくありません。
ただし境内の手入れはされているようなので、何らかの形で使われているようです。


  ※ 以前の記事 →





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かつて堂舎があったと思われる平らな場所は、杉が立っています。
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境内の奥にあるこの堂は奈良・中宮寺の旧本堂とのこと。
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源氏将軍三代 (頼朝、頼家、実朝) 供養塔
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貞暁が建てたというこれらの石塔は高野山で現存する最古の五輪塔で、現在、西室院にある。




(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (6)



6.金剛三昧院 [こんごうさんまいいん]

 高野山全体が世界遺産と思われがちですが、違います。
 金剛峯寺、壇上伽藍、徳川家霊台、奥之院、大門、金剛三昧院が世界遺産に登録された地区です。
 数ある宿坊のなかで唯一、世界遺産に登録されている金剛三昧院は小田原谷にあります。
 大通りから南のほうに入った閑静なところです。

 源頼朝の妻・北条政子が頼朝の菩提を弔うために、建暦元年(1211) に創建。
 境内の多宝塔は頼朝と息子の実朝の菩提を弔うために政子によって貞応二年(1223) に建てられたのもので、
 最古の石山寺の多宝塔に次いで古く、高野山で現存する一番古い建築物です。
 金剛三昧院には寺宝が多く、世界遺産に登録されていることもあって、観光客が多いようです。
 境内に入るのに拝観料が必要な宿坊は、ここだけかも知れません。
 寺院の維持管理のための財源確保も仕方ありませんね。

 今回、たまたま “特別拝観” の期間だったので、
 以前の参拝では拝見できなかった源頼朝、北条政子、足利尊氏、足利直義それぞれの位牌を間近で拝見できました。
 それと、拝観記念として 「金剛線腕輪守」 というものも頂きました。
 これで拝観料500円はお値打ちのような気がします。

 金剛三昧院については、以前の記事にあらかた紹介していますので、ご参考まで。 →

 

多宝塔 【国宝】
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塔内には五智如来像が安置されていて、中尊の大日如来さんには頼朝の遺髪が納められていると伝わります。







中庭
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本堂
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本堂前の錫杖に括りつけられた金剛線はガラス戸越しに、堂内の愛染明王の手とつながっていて、
錫杖を左右にゆすって鳴らすと願い事が叶うとのこと。

愛染明王
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このご朱印は、2年前の高野山開創1200年記念バージョン。
今回いただいたご朱印では手書きの年月日でした。





≪余談≫

 源頼朝の位牌は、東大寺勧進所の阿弥陀堂にもありました。
 (最新の状況は分かりませんが)



(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (5)



5.圓通律寺 [えんつうりつじ]

 蓮華谷から南方約1km、山道を歩いて約20分の山あいにひっそりとあります。
 人里離れ、森閑とした地に建つ圓通律寺は、現在は真言宗の僧侶を目指す人々の修行道場になっています。
 女人禁制どころか、特別に用のある人以外は立ち入りが禁止されています。
 ただし、花祭りのときのみ一般人の法要への参列が許されます。(高野山関係者が多いようです)

 開基は弘法大師の十大弟子のひとり、智泉と伝わっています。
 平安時代末期、荒廃していたのを再興したのが、醍醐寺の僧で東大寺再興の大勧進・俊乗房重源さん。
 当時は専修往生院と言っていたようです。
 専修往生院では、重源さんのもとに24人の念仏衆(蓮社友)がいて、その中には、
 有王丸、斎藤時頼 (滝口入道)、平維盛、木工右馬允知時、熊谷直実、藤原成頼らがいたと伝わります。
 『平家物語』 に登場する方々ですね。
 平重衡にとって、
 ・平維盛は甥
 ・木工右馬允知時は使用人で、重衡の最期を見届けた人。一説には、高野山へ埋葬するため重衡の遺骨を運んだ人。
 ・藤原成頼は義兄 (重衡の正室・藤原輔子の姉・藤原成子の夫)




俊乗房重源
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(図録から拝借)

※ ただいま、東京国立博物館 「運慶展」 に出張中。










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圓通律寺への山道
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途中、ぬかるんでいる箇所多々あり。要注意。






 圓通律寺についてはこれまでに何度か記事にアップしていますので、詳しくはそちらを → 重源さんと仲間たち




※ 使用した写真は、2016年、2017年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。



(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (4)



4.大圓院 [だいえんいん]

 こちらも蓮華谷にある寺院です。
 開基は、理源大師聖宝 [りげんだいし しょうぼう]。
 聖宝さんは京都の醍醐寺の開基でもあり、吉野の修験道を再興した人とも伝えられ、
 東大寺には東南院 (現在の東大寺本坊の前身) を建立して三論教学の拠点を築きました。
 東大寺やその周辺には聖宝さんの伝説がいろいろ残っています。
 
 前回の記事で紹介した清浄心院に庵を結んだ滝口入道 (斎藤時頼) は、
 その後、大圓院の第八世住職・阿浄律師となります。
 大圓院の庭には、横笛ちゃんがウグイスに化身して飛んできて止まったという梅や、
 ウグイスが落ちた井戸があります。
 寺伝では、阿浄律師は横笛ちゃんの菩提を弔うため阿弥陀如来立像を彫り、
 井戸に落ちて死んだウグイスの亡骸をその胎内に納めたということです。
 この阿弥陀さんはウグイスの弥陀とも呼ばれていて、大圓院の本尊です。




大圓院
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ウグイスの梅とウグイスの井戸
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ウグイスの井戸は梅の木のうしろにある。
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≪余談1≫

 御所の滝口で警護担当の武士だった斎藤時頼は平重盛に仕えていたので、
 平重衡とは顔見知りだったかも知れませんね。

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≪余談2≫

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 横笛ちゃんの最期はいくつか話があって、

  (1) 嵐山の大堰川 (桂川の上流) で入水。
  (2) 尼になって奈良・法華寺に入ったが、ほどなく亡くなった。 (『平家物語』 覚一本)
  (3) 高野山の麓で、女性がぎりぎり近づける天野まで来て、そこで亡くなった。
 など。

 大圓院に伝わる話は、(3)の話の系統でしょう。



 以前、天野で横笛ちゃんゆかりの場所を訪ねました。


横笛の恋塚 @天野
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右側の石積みが横笛ちゃんの墓石。
左側の宝篋印塔は昭和56年に大圓院によって建てられた供養塔。




神田 [こうだ] 地蔵堂 @天野
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横笛ちゃんはここで滝口入道を今か今かと待っていたという。




≪余談3≫

有王丸の墓 @天野
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有王丸は俊寛僧都の従者。
流刑先の鬼界が島で亡くなった僧都の遺骨を首にかけて持ち帰り、
高野山奥ノ院に納め、蓮華谷で法師となった。




※ 使用した写真は、2013年~2015年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。


(つづく)


源平ゆかりの高野山寺院 (3)



3.清浄心院 [しょうじょうしんいん]

 蓮華谷にある寺院です。
 平宗盛によって再興されたと伝わります。
 雑仕の横笛ちゃんと恋仲になるも、身分の違いを理由に父親からきつくとがめられた斎藤時頼は出家して高野山に入り、清浄心院の境内に庵を結んだと伝わります。
 一ノ谷の戦いで戦線離脱した平維盛は高野山へ向かい、滝口入道(斎藤時頼)に再会したそうです。
 維盛は滝口入道を見て、都にいるときは華やかな青年だったのに、30歳になっていない滝口入道はまるで老僧のようにやせ衰えた姿だったと『平家物語』に記されています。
 滝口入道の庵は現存しませんが、庵の前にあったという井戸(ウグイスの井戸)は、その後、同じ高野山内寺院の大圓院に移されたそうです。
 維盛の子・六代が父親の最期の様子を聞きに滝口入道を訪ねたと『平家物語』にありますが、対面したのはこの庵だった可能性があります。



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※ 使用した写真は、2013年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。



(つづく)

源平ゆかりの高野山寺院 (2)



2.熊谷寺 [くまがいじ]

 蓮華谷にある寺院です。
 高野山参拝に来た法然上人 (圓光大師) や親鸞上人 (見真大師) が逗留したというこの寺は、
 阿弥陀如来を本尊としていて、浄土宗との関連が深い寺です。
 高野山の宿坊の中で、「寺」 が付くのは熊谷寺だけかも。
 熊谷直実 (蓮生) も逗留し、この寺に平敦盛の供養塔を建立して菩提を弔ったそうです。
 当初は智識院と称していましたが、のちに三代将軍・源実朝によって熊谷寺と改められたようです。

 法然上人、親鸞上人、九条兼実、熊谷直実の4人が集まって歌を詠んでいる様子を描いた 「歌会の絵図」 や
 毛髪を使って南無阿弥陀佛、南無大勢至菩薩、南無観世音菩薩の文字を織り込んだ 「阿弥陀三尊名号」 が寺宝にあり、
 現在、高野山霊宝館で開催中の 「高野山の名宝 ~ 平家物語の時代と高野山」 展で展示されています。

 一の谷の戦いで熊谷直実が平敦盛を討ち取った話は、『平家物語』 巻第九 「敦盛最期」 にあります。



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法然上人、親鸞上人、熊谷直実が庭前の井戸の水鏡で姿を映し、自らその姿を木像に彫ったと伝わります。
その井戸がこちら。
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圓光堂
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3体の木像は表門の横にある圓光堂に安置されています。









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2015年に参拝したとき、秘仏の本尊・阿弥陀如来さんがたまたま公開されていたので、本堂でお参りしました。
現地に行ってはじめて知る情報が高野山にはけっこうあります。







本堂
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平敦盛(左)、熊谷直実(右) 供養塔
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奥の院の参道沿いにある熊谷寺の墓地にて。




石塔には文字が刻まれています。


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    「■敦盛■■

          璘荘大居士

     元暦元年二月七日
           直實立」

と刻まれているのかな?

  “■敦盛■■” は、”為敦盛空顔” か?
  “直實立” の直後に、“之” があるかも。






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    「江州塩津城主
     為熊谷寺殿法力

          蓮生法師

     承久三年九月四日」

と刻まれているのかな?


※ 石塔の文字は素人判断の推測なので、本気になさいませぬように。

※ 使用した写真は2013年と2015年に撮ったものなので、現状と違っている可能性があります。




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(つづく)

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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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