『心中宵庚申』




2017年11月の文楽公演ポスター
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お千代さん




近松門左衛門の最後の世話物 『心中宵庚申』 [しんじゅう よいごうしん] は、実際に起きた心中事件を題材にした浄瑠璃。
正式な夫婦でありながら心中するという珍しい話です。

作品の概要はこちらのサイトで → 文化デジタルライブラリー 「近松門左衛門 『心中宵庚申』 」




この夫婦 (お千代と半兵衛) の墓所は2か所あります。



1.来迎寺 [らいこうじ] (京都府相楽郡精華町大字植田)

 最寄駅はJR奈良線・祝園 [ほうその] 駅、近鉄京都線・新祝園駅。
 作品中の 「上田村の段」 は、上田村にあるお千代の実家での話で、今も来迎寺あたりは 「植田」 の地名が残っています。


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手前の屋根付きのほうが、初代の享保時代の墓石
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その背後に安政四年に建てられた墓石がある。








初代の墓石にも字がかすかに刻まれているのが分かります。
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お千代さんは身ごもっていたので、墓石にはその子の戒名 “離身童子” も刻まれています。
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門の横にある掲示板に文楽公演ポスターが。
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「植田」 の名が付いた地区の掲示板。
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2.銀山寺 [ぎんざんじ] (大阪市天王寺区生玉寺町)

 生國魂神社 [いくくにたまじんじゃ] の近くにあります。
 心中の場所は神社門前の馬場先 (天王寺区上汐3丁目あたり?) にあった東大寺勧進所だったそうです。


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こちらも三人一緒。
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初代・吉田玉男の墓も同じ境内墓地に。
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銀山寺でも文楽公演ポスターが。
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≪余談≫

 毎年10月下旬の日曜日に行われる大近松祭では、近松門左衛門の墓所がある広済寺 (尼崎市) で法要と墓前祭があり、
 そのあと隣接する近松記念館のホールで人形浄瑠璃などが上演されます。
 今年2017年は10月22日(日)に行われる予定。 →
 文楽人形遣いの吉田和生さんはこの数年毎回来られていますが、
 今年は人間国宝になって初めての参拝、上演になります。


墓参りする梅川ちゃん (人形遣いは吉田和生さん)
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(2013年10月27日の墓前祭で)



鍵屋ノ辻



伊賀国上野の鍵屋ノ辻 (現 三重県伊賀市小田町) 。

ここで寛永11年(1634) 11月7日、渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て、弟を殺した河合又五郎を討ちました。
鍵屋ノ辻の決闘、あるいは伊賀越の仇討ちとして世に知られる事件です。


鍵屋ノ辻の道標 「みぎいせミち ひだりなら道」
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この道標が建てられたのは事件から約200年後の文政十三年(1830)。



このあたりは史蹟になっていて、伊賀越資料館や数馬茶屋があります。
伊賀越資料館には、荒木又右衛門自筆の起請文や事件の関連資料などが展示されています。
数馬茶屋は、数馬と又右衛門らが又五郎を待ち伏せていたとされ、
鍵屋ノ辻にあった茶屋の萬屋 [よろずや] をイメージして建てられている最近のお店です。


「史蹟 鍵屋ノ辻」
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「伊賀越復讐記念碑」
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伊賀越資料館
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河合又五郎首洗い池は資料館の裏にある。
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数馬茶屋
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暖簾や障子にある紋は渡辺家の家紋だそうです。







伊賀市上野寺町にある萬福寺には、河合又五郎の墓所があります。


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墓石の上側1/4が日光に照らされて見づらいですが。。。


立札には、
         寛永十一年十一月七日寂
       俗名 河合又五郎
             享年二十四歳
と書いてある。
又五郎役の文楽人形を見て、いい歳したおっさんだと思っていましたが、まだ若かったのですね。




歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられる 「伊賀越道中双六」 は、この仇討ち事件を脚色したものです。
劇では、渡辺数馬は和田志津馬、荒木又右衛門は唐木政右衛門、河合又五郎は沢井股五郎という名になっています。


唐木政右衛門

最終段の 「伊賀上野敵討の段」 では、着物の下に鎖帷子を身に着けている。




沢井股五郎を討ち取った和田志津馬 (左)
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やはり股五郎は24歳には見えないな。




    ※ 参考記事(弊ブログ) → 「荒木又右衛門in奈良」

    ※ 今の伊賀市荒木というところが荒木又右衛門の出生地で、
      国道163号 「荒木」 交差点の脇に 「荒木又右衛門生誕之地」 の石碑があります。



鍵屋ノ辻






≪余談≫

  「伊賀越道中双六」 は全10段あります。
  このうち単独で上演されることの多い 「沼津の段」 について手元にある文楽のガイドブックでは、
  悲劇的な話が多い文楽の中でこれほど泣かされる作品はほかにない、と解説しています。
  そうそう、平作が息絶える場面で、哀感あふれる胡弓を演るのは反則だよ~。 あれはアカン、滝涙。

   ※ 「伊賀越道中双六」 の 「沼津の段」 から →
      (胡弓が始まったところで映像が終わっているのが残念)



信太の森



夫と子どもの3人で幸せに暮らしていたのに正体を知られてしまい、森へ戻らなくてはならなくなったのは
“ 葛の葉 ” という名の人間の女に化けていたキツネ。

伝説をもとに脚色された 『芦屋道満大内鑑』 [あしやどうまん おおうちかがみ] は通称 『葛の葉』 といって、
歌舞伎や人形浄瑠璃でよく知られているお芝居。
物語のクライマックスは、葛の葉の悲痛な子別れの場面です。



“ 恋しくは たづね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ くずの葉 ”

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歌舞伎では、葛の葉は口にくわえた筆で障子に一首を書き残し、ひとり寂しく信太の森へと帰っていきます。




大阪府和泉市葛の葉町にある葛葉稲荷 [くずのは いなり] 神社は信太森 [しのだのもり] 神社とも言い、
伝説ゆかりの信太の森はこの神社周辺の台地 (信太山) の森のことだそうです。


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伝説説明板
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境内には葛があり、初めてその葉をまじまじと眺めました。
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社伝では、和銅元年(708) 旧二月初午の日、
元明天皇がこの信太の森に鎮座するウカノミタマ大神を奉って祭事を行ったといいます。



葛の葉の子・童子丸は、実は


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(@安倍文殊院)

のちの安倍晴明なのです。






さて、シノダの森は別の場所にもあるのです。
大阪府豊能郡能勢町下田尻にあり、こちらでは 「信田の森」 と書くようです。


道路脇に隠れるようにある鳥居は 「信田の森」 の入り口。
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鳥居をくぐって階段を上がると、小山の中腹の森の中に平坦な場所があって、
小さな稲荷社と、葛の葉の夫・安倍保名の供養塔がひっそりと佇んでいます。
宝篋印塔の供養塔の前には石碑があって、応和二年 (962) 3月23日に亡くなったことが刻まれています。
この地では実在の人物とされているようです。

稲荷社
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安倍保名の供養塔
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地元の言い伝え:
  安倍保名は傷の治療のため、源(多田)満仲の家来・藤原仲光を頼って、妻の葛の葉とともにこの地へやってきた。
  このあたりは古くから鉱泉が湧き出していて、湯治に適していたという。
  保名は湯治をしながらこの地で余生を送り、応和二年 (962) 3月23日、ここで72歳で亡くなった。


たしかに、近くには山空海温泉というマニア受けするような、昭和な感じのひなびた温泉場があるので、
このあたりへ湯治に来たというのもまったくの作り話とは言い切れません。


山空海温泉
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田尻川沿いにあり、屋根の赤い温泉マークが目印。



「信田の森」 の近くには、壇ノ浦の戦いから密かに脱出した安徳天皇のものと言われる墓があり (以前の記事参照)、
もしかしたら生前、ここの温泉に入っていたかも!?



吉田文雀さん



国立文楽劇場で初めて文雀さんの人形を見たのは、『伽蘿先代萩』 [めいぼく せんだいはぎ] の栄御前。
動きが少ないのに、その存在感の大きさに驚かされました。

竹本住大夫さんの引退公演となった 『菅原伝授手習鑑』 の桜丸切腹の段では、桜丸の妻・八重。
息絶えた桜丸の背中に覆いかぶさって、じっと動かない。
しばらくすると、左の頬を桜丸の背中に当ててじっと動かない。
またしばらくすると、今度は右の頬を当ててじっと動かない。
最小限の動きで大きな悲しみを表現していて、思わず目頭が熱くなりました。





白鷹禄水苑・宮水ホール (2013年10月26日)
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手を伸ばせば届きそうなくらい近いところで、文雀さんが遣う梅川ちゃんを見られたのは幸運だったかもしれない。

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「傾城恋飛脚・新口村の段」
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素人のワタクシ、目の前の梅川ちゃんの動きに釘づけでした。

  ※ 公演の様子 →


開演前、楽屋へ向かう文雀さん。
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今年2016年8月20日に亡くなられました。






奈良県大和郡山市にある源九郎稲荷神社。 『義経千本桜』 ゆかりの神社です。

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以前、文雀さんによる人形浄瑠璃が奉納されたと聞きました。
詳しく聞きませんでしたが、ここで奉納するとしたら、『義経千本桜』 の 「道行初音旅」 でしょう。







JR新大阪駅のコンコースでは、文雀さんの人形拵えによる文楽人形 (義経千本桜の静御前) が旅人をお出迎え。

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弟子の吉田和生さんが講師の文楽入門講座で拝見した人形グッズ。
人形の胴には文雀さんの名前のほか、文五郎の名も。

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近松記念館 (尼崎市) にある文雀さんの色紙。

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JR尼崎駅前の梅川ちゃんの像は、文雀さんの監修の下で制作された。

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文雀さん、劇場でもっと観たかったです。





<余談>

  2013年5月16日付の朝日新聞の記事 「 (かぞくの肖像) 吉田文雀さんとさつきとメイ」 では、
  奥様に先立たれた寂しさを同居するネコが紛らわしてくれる話が綴られている。
  その話もいいが、頬を緩めてネコを抱いている文雀さんの写真もいい。
  (この記事、まだ朝日新聞のサイトにあった →




野中寺




(吽) 「チョット待テ! フトドキ者ハ 入ルベカラズ!」
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(なむ) 「あい あむ のー ぷろぶれむ。 よろしくです」
(何ちゅうエイゴや!)




昨年2015年、奈良国立博物館の 「白鳳」 展にお出ましになった弥勒菩薩半跏像。
ホームでも拝見したいと思い、初めて野中寺 [やちゅうじ] へ。

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造像時期や刻銘の解釈でいろいろ論じられていますが、思惟のお姿を間近で拝見すれば、もうなんだか有り難くて。
思わず手を合わせました。

野中寺は歴史が古く、聖徳太子の命により蘇我馬子が建立したと伝わります。。
叡福寺の「上の太子」、大聖勝軍寺の「下の太子」に対して、野中寺は「中の太子」と呼ばれています。
創建当初の伽藍は法隆寺式だったようで、現在も塔跡や金堂跡などが残っています。
「白鳳」 展では野中寺で出土した瓦も展示されていて、その瓦には 「庚戌年」 と書かれていました。
「庚戌年」 は孝徳天皇の大化6年(650年)です。
蘇我入鹿の首が宙を飛んだ乙巳の変(645年)の5年後ですよ。


塔跡
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明日香の橘寺と同じような塔心礎の柱孔。
よく見ると、礎石に亀の顔らしきものが刻まれています。









本堂
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本尊は薬師如来ですが、お目にかかれず。









方丈
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大和郡山藩主・柳沢侯の別邸を移築したものとのこと。








野中寺参拝のもうひとつの目的は、お染・久松の墓参り。


お染・久松の墓
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(正面)
宗味信士
妙法信女







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(背面)
享保七年十月七日建之
俗名 久松
    お染
大坂東堀天王寺屋権右ヱ門








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お染ちゃんのパパが、享保七年十月七日、二人の十七回忌に建てたそうです。
確か、お染ちゃんの遺品が野中寺に保管されていたはず。

初めて国立文楽劇場で文楽を観たときの演目が、「新版歌祭文」の野崎村の段。
吉田蓑助さんが遣うお染ちゃんが、もーかわゆくて、かわゆくて。


(染) 「逢いたかつた。。。」

(公演チラシから)

♪ 思い合うたる恋仲も
  義理のしがらみ 情けのかせ杭
  駕籠に比翼を引き分くる
  心ごころぞ 世なりけり ♪





野中寺の周辺は古墳だらけ





 ※ 弥勒菩薩半跏像と地蔵菩薩立像 (ともに国重文) は毎月18日のみ開扉されます。




お三輪ちゃんの家



お三輪ちゃん。
文楽『妹背山婦女庭訓』[いもせやまおんなていきん]に登場します。

吉田文五郎とお三輪 (『入江泰吉の文楽』展チラシから)
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奈良・三輪山の麓にある造り酒屋の娘さんという設定です。
その造り酒屋は、三輪にある今西酒造さんがモデルです。

文楽で使用された酒道具は、今西酒造さんが提供したそうですよ。



  お三輪ちゃんの家(今西酒造さん)

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大神神社[おおみわじんじゃ](三輪明神)から授与された「志るしの杉玉」が吊るされています。


三諸杉[みむろすぎ]酒カレー
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土産として今西酒造さんで購入。
酒粕の香りのするカレー(レトルトパック)。
下戸のワタクシでも問題なく、おいしく頂きました。




JR三輪駅から見た三輪山
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今西酒造さん(本店・酒蔵)へはJR三輪駅から徒歩3分。
ショップは駅前と神社参道にあり。




大神神社拝殿に吊るされている杉玉
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2013年の文楽・夏休み特別公演の第二部は『妹背山婦女庭訓』でした。
舞台初日の7月20日、大神神社の権禰宜さんから
お三輪ちゃんに「志るしの杉玉」がプレゼントされました。
公演期間中、劇場2階ロビーに置かれていました。

志るしの杉玉(国立文楽劇場にて)
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  国立文楽劇場の記事:
    杉玉授与式の予告→
    杉玉授与式の様子→

劇場のロビーでは、今西酒造さんのお酒『三諸杉』も販売されてました。



劇場ロビーの芝居絵
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左下がお三輪ちゃん









上の『入江泰吉の文楽』展チラシや芝居絵でお三輪ちゃんが手にしているのは、
苧環[おだまき]という糸巻きです。

三輪山の麓にある箸墓古墳(卑弥呼の墓との説あり)の近くに、
三輪山の神婚伝説ゆかりの苧環塚[おだまきづか]があります。
苧環塚の石の下に、三輪(三回巻いた分)の糸が埋められているという言い伝え。
これが「三輪」の語源だとも言われています。


おだまき塚(左の草むらにある石)
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三輪山の頂上付近が右奥に見えます。




近松門左衛門『冥途の飛脚』の梅川と忠兵衛のふたりが
逃避行で立ち寄った三輪の茶屋(実在した宿屋)跡があったり、
山の辺の道があるなど、大神神社やその周辺は見どころがたくさんあるエリア。
JR東海が「うましうるわし奈良」キャンペーンで大神神社を採り上げたのも、むべなるかな。





えびすかき




西宮の「えびすかき」(えびすまわし)

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(今年2014年の「西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」で)


首から下げた箱にえびす様が登場して、お酒を飲んだり、鯛を釣ったりします。

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傀儡師[かいらいし]故跡 (西宮市産所町)

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傀儡師は「くぐつ師」とも言って、人形操りを職業としていた人たちのこと。
西宮神社の周辺には、室町時代あたりから傀儡師が住むようになり、
1690年頃には40軒ほどあったそうです。
彼らは全国を回って、人形を操りながらえびす様の功徳を説きました。
えびす信仰が各地に広まったのは、彼らの働きによるところもあったでしょう。
その人形芸は人形操りの源流と言われ、現在の淡路人形浄瑠璃や文楽に展開したとのこと。





西宮神社の境内にある摂社・百太夫神社[ひゃくだゆうじんじゃ]。

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祭神は、傀儡師が祖神として崇めた百太夫神[ひゃくだゆうのかみ]。
こどもの健康を守る神様で、初宮参りでは必ずお参りされるそうです。


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お酒の試飲のし過ぎ?
百太夫神社の横で沈没中の方が。。。
(去年2013年の「西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」で)





そういえば国立文楽劇場で観た「釣女」は、
西宮のえびす神社で釣りをしたら、美女が釣れたというめでタイ話。
加えて、落ちも付く楽しい演目でした。





年明けの2015年1月6日、西宮市にある兵庫県立芸術文化センターで
淡路人形浄瑠璃やえびすかきの公演があります。
約80年ぶりに復活した「生写朝顔日記 摩耶ケ嶽の段」が演じられます。
公演では淡路島の中学生や高校生による演技も。→


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奈良の人形浄瑠璃




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『関西人形浄瑠璃』というパンフレットを見ると、
関西圏には文楽以外にも人形浄瑠璃がたくさんあるので驚きました。
ところが、奈良県と和歌山県にはこれといった人形座がありません。

調べてみると、実は、かつて奈良にも人形浄瑠璃がありました。

乙田[おとだ]人形浄瑠璃。

奈良県生駒市萩の台あたりは昔、乙田村といいました。
乙田村では江戸時代の末から昭和の初めにかけて、
村人たちによって人形浄瑠璃が演じられていたそうです。
萩の台の石福寺の境内にある文化財保存館には、
当時使われていた人形、床本、舞台道具などが保管されています。
ただし、いつも開館しておらず、見学には予約が必要です。
(問い合わせ先は、下記関連記事を参照ください)



石福寺と隣接する文化財保存館(奈良県生駒市萩の台)

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    アポなしでは見られません。
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    象鼻ダンボだ!
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<余談>

人形浄瑠璃、生駒市、で連想するのは。。。。。鶴澤寛治師(七世)。
文楽三味線の人間国宝で、生駒市在住です。



<閑話休題>



パンフ『関西人形浄瑠璃』から。


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見づらいので、以下に列挙します。

    鳥取県
     ・円通寺人形芝居(鳥取市)
     ・水口人形芝居(八頭町)
     ・新田人形浄瑠璃芝居相生文楽(智頭町)

    兵庫県
     ・淡路人形浄瑠璃(南あわじ市)
     ・西宮「えびすかき」(西宮市)

    大阪府
     ・人形浄瑠璃文楽(大阪市)
     ・能勢人形浄瑠璃(能勢町)

    徳島県
     ・阿波人形浄瑠璃(徳島県全域)
     ・阿波木偶箱まわし(徳島市)

    京都府
     ・佐伯灯籠(亀岡市)
     ・和知人形浄瑠璃(京丹波町)

    滋賀県
     ・冨田人形(長浜市)

    福井県
     ・鯖江人形浄瑠璃(鯖江市)

    三重県
     ・安乗の人形浄瑠璃(志摩市)



ずいぶんありますね。









乙田人形浄瑠璃の関連記事です。

  ● 生駒市デジタルミュージアム

  ● まほなび・近鉄生駒線「萩の台」駅




※奈良県五條市大塔町の中峯地区でも、かつて人形浄瑠璃が行われていたそうですが詳細不明。




近鉄・萩の台駅から生駒山を望む
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「文楽の舞台」展



今日2014年9月13日、「総本山智積院の声明」公演のため国立文楽劇場に行ったら、
展示室が模様替えされていました。

『文楽の舞台』という企画展示が始まったようです。
(11月24日まで)


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文楽の舞台裏を垣間見ることができます。
(撮影許可いただきました)




展示室に入ると、「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」で使われる門と網代塀がお出迎え。

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舞台のセット。
障子の下には支えがありません。

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行燈の後ろの板塀は、布に描かれた絵でした!

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行燈の中には、9Vの乾電池、トグルスイッチ、オレンジ色のセロハン(?)をかぶせたランプが!

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スライドトランスを操作して、舞台照明の明るさを調節する体験ができます。

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「妹背山婦女庭訓」の舞台の中央を流れる川の流れを表現する模型。

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実際の舞台では、水の流れを表現するために、手前側を手動で回転させるのだそうです。
(バウムクーヘンを焼くときのような、円筒形の部分)




「義経千本桜」の舞台模型。

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中央の切り株に何かが。。。

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ほかにもたくさんあって、とても楽しい展示でしたよ。




<余談>

源九郎狐といえば。。。
奈良・大和郡山市にある源九郎神社の「初音の鼓」のお守り。ポン、ポン!

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平家女護島




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平成26年夏休み文楽特別公演の第2部を観ました。

演目は、
  ・平家女護島 [へいけ にょごのしま]
  ・鑓の権三重帷子 [やりのごんざ かさねかたびら]


いずれも、近松門左衛門の作品。



「文楽、これからもよろしくお願いします」
竹本住大夫さんが引退する際のお言葉にみなさん賛同されているようで、
なかなかの盛況ぶりでした。
落語家(サザンライト師)や、今回のプログラム冊子に投稿されている演劇評論家のお姿も。





【平家女護島~鬼界が島の段】

 平家打倒計画がばれて、鬼界が島という南の島に流された俊寛[しゅんかん]、
 成経[なりつね]、康頼[やすより]。
 島に住む海女(あま)ちゃんの千鳥というかわいい娘とデキちゃったという成経が、
 俊寛にどんな娘なんだいと問われて、出るわ出るわの、のろけ話がなかなかエロティック。
 南の島の海女さんの話なので、どこか開放的、健康的な感じです。
 ほほえましいです。小鯛や蛸がウラヤマシイ。



 ご赦免の船から出てきた使者のひとりは、意地悪な性格。
 瀬尾太郎兼康[せのー・たろー・かねやす]。
 あの瀬尾(妹尾)だ。

   平家物語によると、
   対立する南都(奈良)の大衆[だいしゅ](≒僧兵)を平和裏に鎮圧させようと、
   あまり武装せずに南都へ派遣された妹尾兼康らが、大衆にボコボコにやられた。
   これに激怒した清盛は、五男・重衡[しげひら]を総大将とする平家軍を南都へ派遣。
   これが、南都焼き討ち事件となった。
   治承4年(1180)12月28日のこと。
   ただし、平家物語では、せのーさん、お芝居のような性格は書かれていなくて、
   平家のために一所懸命がんばっています。



 吉田簑助さん遣う千鳥ちゃんが、もー、かわゆくて、かわゆくて。
 南の島の若い海女ちゃんなので、小麦色のおねいちゃんが出てくると想像しましたが、色白でした。
 でも、よろよろの俊寛が瀬尾とバトルしているときに加勢するなど、千鳥ちゃん、けっこう気が強そー!



ええカッコしたけど、やっぱり帰りてぇ~
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※平家物語によると、島に取り残された俊寛は自ら食を断ち、餓死。享年37歳。
 俊寛の娘は尼になって奈良・法華寺に入った、とのことです。





<余談1>

 『平家女護島』は、通常は二段目の「鬼界が島の段」のみが上演されるようですが、
 本来は五段構成。
 せっかくなので、どんな話なのか、全編ざっと読んでみた。
 (日本古典文学大系50 「近松浄瑠璃集(下)」 岩波書店)

 面白い!
 平家物語に出てくるエピソードがたくさん取り込まれていますね。
 俊寛たちのほか、後白河法皇、平清盛、平重衡、平教経(能登守)、平重盛(小松殿)、
 平知盛、斎藤実盛、有王、文覚上人、常盤御前、牛若丸。。。
 チーム平家物語のメンバーがたくさん登場しますよ!

 二段目だけではもったいないなあ、ほかの段もぜひやって欲しいですね。
 四段目は、人形劇だからこそ出来そうなスペクタクル。一度観てみたい。

 以下、超概要です。

 [初段]
  南都焼き討ちした平重衡が京へ凱旋。
  土産は、南都の大衆らの首と、焼け落ちた大仏さんの頭!(車で持ち帰っただと?)、
  そして生け捕りにした俊寛の妻・あづまや。
  あづまやは、武装して奈良・法華寺に潜んでいるところを捕まった。
  そのあづまやは美人なので清盛の女になれと言われるも、自害。
  大仏さんの頭に潜んでいた文覚上人(源氏シンパ)が突然現れて、
  源義朝のしゃれこうべを奪って、姿を消す。

 [三段目]
  源義朝の元妻・常盤御前が登場。
  清盛の妾になった常盤御前(史実ではないようですが)は屋敷近くを通った男たちを
  色仕掛けで夜な夜な屋敷の中へ。
  屋敷では、怪しげなことが。。。。

 [四段目]
  平清盛は後白河法皇を暗殺しようと海へ突き落とした。
  そこへ千鳥ちゃん登場。
  海女ちゃんですから、泳ぎ・潜水は得意です。
  千鳥ちゃんのおかげで法皇は無事助けられましたが、
  怒った清盛は千鳥ちゃんを捕まえて殺害!(かいわいそう)
  その後、都に戻った清盛は熱病に倒れる。
  そして、あづまやと千鳥の亡霊による恨みの炎に焼かれて、
  「あつやあつやの焦がれ死に、生き火葬とは是やらん」で、清盛死す。

 [五段目]
  文覚上人が再登場。
  平家追討の院宣が出たので、伊豆にいる源頼朝のもとへ向かいます。
  途中、義朝のしゃれこうべを枕に寝ていた文覚上人、壇ノ浦で平家が滅ぶ夢を見ていた。
  波間に消えていく平教経。
  波の音で目が覚めた文覚上人。
  波の音と思ったのは、「草の葉渡る風の音」だった。





<余談2>

 [三段目]の原文に、獨角獸(うにこうる)という奇妙な動物の名前が出てきます。
 平重盛が病気になったのは、恩知らずの源頼朝が呪いの人形を熊野大社へ納めていたから、
 というような話の中で出てくるのですが、補注を見ると、「うにこうる」は一角獣のことのようです。
 一角獣はユニコーン
 なまって「うにこうる」になったか?
 近松門左衛門はユニコーンを知っていた、ということでしょうか。







※長くなったので、鑓の権三重帷子についてのコメントは省略します。


201407228835-1111.jpg




京都・伏見の京橋(本物です)
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舞台のセットでは、橋の欄干の灯篭に「寺田屋」と書いてありました。
近くにある例の寺田屋のことでしょうね。





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なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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