竹本住太夫さん



人形浄瑠璃文楽の太夫で、人間国宝の竹本住太夫さんが2018年4月28日、お亡くなりになりました。93歳。




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<再掲> 薬師寺修二会での文楽奉納にて (2014年3月26日)






初めて竹本住太夫さんの語りをナマで聴いたのは、「新版歌祭文・野崎村の段」の切り場でした。
以下の動画は素浄瑠璃ですが、野崎村の段のラストシーンの部分です。

    義太夫「新版歌祭文・野崎村の段」 (ページ下方の中央付近をクリック)→



合掌



良弁僧正の母親を祀る社



東大寺の境内にある安産・子育ての神様は、
二月堂参籠所の食堂に安置されている訶梨帝母さんがよく知られていますが、
指図堂の東側にある子安神社はあまり知られていないと思います。
東大寺初代別當の良弁僧正の母親が祀られていると伝わります。



子安神社
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背後は大仏殿。




説明板を要約すると、

   - 子安 [こやす] 神社
      もとは 「富貴社」 [ふきのやしろ] と呼ばれていたらしい。
      『東大寺諸伽藍略録』 の江戸時代の記録によると、良弁僧正の母親を祀ったといい、
      「相模国から来られた母がここに住み、良弁は孝養を尽くした」 旨の説明があり、
      「孝養社」 と呼ばれたことも記されている。
      安産と子孫繁栄を願う社として、「富貴社」 より改称されたようである。 -


由緒はいまひとつはっきりしていないようですが、
江戸時代には良弁僧正の母親を祀った社と見なされていたようですね。




良弁僧正と母親の対面の図
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良弁杉



東大寺にある手水舎のなかでも、かなり立派な二月堂の手水舎。
江戸時代に作られたこの手水舎には、東大寺の開山で、初代別當をつとめた良弁 [ろうべん] 僧正の伝説が彫られていますよ。


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鷲にさらわれる赤子(良弁さん)
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親に会いたいと祈る良弁さん
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※ 良弁僧正の高弟で、二月堂修二会の創始者の實忠和尚が、難波津で小観音さんを迎えている場面かも?







二月堂の杉の前で、母親と30年ぶりに対面する良弁さん
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良弁杉と二月堂
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現在の杉は昭和時代に植えられた3代目。






二月堂に奉納された絵馬にも、感動の母子対面図があります。

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※ うしろでダッタンやってますので、良弁さんの背中が熱そう。








国立文楽劇場で行われている 平成30年初春文楽公演
その第二部の 『良弁杉由来』 は、良弁さんの伝説をもとにしたお芝居です。
昨年末 (2017年12月22日)、出演者の皆さんが二月堂で成功祈願をされました。 (記事 →
この記事にある良弁杉前での記念写真、左から、
  狹川普文師(東大寺別當)、吉田和生氏(文楽人形遣い)、狹川宗玄師(東大寺長老)、
  平岡昇修師(上院院主)、豊澤富助氏(文楽三味線)、竹本千歳太夫氏(文楽太夫)。
吉田和生さんは昨年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。




さて、国立文楽劇場。

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舞台上部には、初春公演恒例のにらみ鯛と絵馬の飾り付け。

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絵馬の 「戊戌」 は、狹川普文師の揮毫です。
エントランス・ロビーにも小型の絵馬があり、修二会(お水取り)のご祈祷申し込み用紙もしっかり置いてありました。

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『良弁杉由来』 は、「志賀の里の段」、「桜の宮物狂いの段」、「東大寺の段」、「二月堂の段」 で構成されています。
クライマックスは 「二月堂の段」 の母子再会の場面で、あちこちからすすり泣きが聞こえました。
千歳太夫さんの泣き叫び(もちろん嬉し泣き)につられて、ワタクシも思わず目頭が熱くなり。。。


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初春文楽公演第二部のふたつめの演目は、『傾城恋飛脚』 の 「新口村の段」。
近松門左衛門の 『冥途の飛脚』 の派生作品で、こちらも奈良が舞台のモデルです。
梅川ちゃんの 「。。。奈良の旅籠屋三輪の茶屋。。。」 が聴けました。

近鉄・新ノ口 [にのくち] 駅近くには、忠兵衛の供養碑がある善福寺や忠兵衛の実家(跡)があります。

新ノ口駅近くで
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公演の休憩時間に、舞台から出演者による手ぬぐい撒きがあり、竹本織太夫さんが投げた手ぬぐいをゲット。

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≪余談≫

良弁さん自筆のサイン


(図録から拝借)

奈良時代の実在の人ですが、こういうものが残されていると、ぐっと身近に感じます。
「辨」 ではなく、「弁」 を使っていますね。



『心中宵庚申』




2017年11月の文楽公演ポスター
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お千代さん




近松門左衛門の最後の世話物 『心中宵庚申』 [しんじゅう よいごうしん] は、実際に起きた心中事件を題材にした浄瑠璃。
正式な夫婦でありながら心中するという珍しい話です。

作品の概要はこちらのサイトで → 文化デジタルライブラリー 「近松門左衛門 『心中宵庚申』 」




この夫婦 (お千代と半兵衛) の墓所は2か所あります。



1.来迎寺 [らいこうじ] (京都府相楽郡精華町大字植田)

 最寄駅はJR奈良線・祝園 [ほうその] 駅、近鉄京都線・新祝園駅。
 作品中の 「上田村の段」 は、上田村にあるお千代の実家での話で、今も来迎寺あたりは 「植田」 の地名が残っています。


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手前の屋根付きのほうが、初代の享保時代の墓石
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その背後に安政四年に建てられた墓石がある。








初代の墓石にも字がかすかに刻まれているのが分かります。
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お千代さんは身ごもっていたので、墓石にはその子の戒名 “離身童子” も刻まれています。
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門の横にある掲示板に文楽公演ポスターが。
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「植田」 の名が付いた地区の掲示板。
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2.銀山寺 [ぎんざんじ] (大阪市天王寺区生玉寺町)

 生國魂神社 [いくくにたまじんじゃ] の近くにあります。
 心中の場所は神社門前の馬場先 (天王寺区上汐3丁目あたり?) にあった東大寺勧進所だったそうです。


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こちらも三人一緒。
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初代・吉田玉男の墓も同じ境内墓地に。
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銀山寺でも文楽公演ポスターが。
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≪余談≫

 毎年10月下旬の日曜日に行われる大近松祭では、近松門左衛門の墓所がある広済寺 (尼崎市) で法要と墓前祭があり、
 そのあと隣接する近松記念館のホールで人形浄瑠璃などが上演されます。
 今年2017年は10月22日(日)に行われる予定。 →
 文楽人形遣いの吉田和生さんはこの数年毎回来られていますが、
 今年は人間国宝になって初めての参拝、上演になります。


墓参りする梅川ちゃん (人形遣いは吉田和生さん)
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(2013年10月27日の墓前祭で)



鍵屋ノ辻



伊賀国上野の鍵屋ノ辻 (現 三重県伊賀市小田町) 。

ここで寛永11年(1634) 11月7日、渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て、弟を殺した河合又五郎を討ちました。
鍵屋ノ辻の決闘、あるいは伊賀越の仇討ちとして世に知られる事件です。


鍵屋ノ辻の道標 「みぎいせミち ひだりなら道」
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この道標が建てられたのは事件から約200年後の文政十三年(1830)。



このあたりは史蹟になっていて、伊賀越資料館や数馬茶屋があります。
伊賀越資料館には、荒木又右衛門自筆の起請文や事件の関連資料などが展示されています。
数馬茶屋は、数馬と又右衛門らが又五郎を待ち伏せていたとされ、
鍵屋ノ辻にあった茶屋の萬屋 [よろずや] をイメージして建てられている最近のお店です。


「史蹟 鍵屋ノ辻」
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「伊賀越復讐記念碑」
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伊賀越資料館
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河合又五郎首洗い池は資料館の裏にある。
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数馬茶屋
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暖簾や障子にある紋は渡辺家の家紋だそうです。







伊賀市上野寺町にある萬福寺には、河合又五郎の墓所があります。


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墓石の上側1/4が日光に照らされて見づらいですが。。。


立札には、
         寛永十一年十一月七日寂
       俗名 河合又五郎
             享年二十四歳
と書いてある。
又五郎役の文楽人形を見て、いい歳したおっさんだと思っていましたが、まだ若かったのですね。




歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられる 「伊賀越道中双六」 は、この仇討ち事件を脚色したものです。
劇では、渡辺数馬は和田志津馬、荒木又右衛門は唐木政右衛門、河合又五郎は沢井股五郎という名になっています。


唐木政右衛門

最終段の 「伊賀上野敵討の段」 では、着物の下に鎖帷子を身に着けている。




沢井股五郎を討ち取った和田志津馬 (左)
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やはり股五郎は24歳には見えないな。




    ※ 参考記事(弊ブログ) → 「荒木又右衛門in奈良」

    ※ 今の伊賀市荒木というところが荒木又右衛門の出生地で、
      国道163号 「荒木」 交差点の脇に 「荒木又右衛門生誕之地」 の石碑があります。



鍵屋ノ辻






≪余談≫

  「伊賀越道中双六」 は全10段あります。
  このうち単独で上演されることの多い 「沼津の段」 について手元にある文楽のガイドブックでは、
  悲劇的な話が多い文楽の中でこれほど泣かされる作品はほかにない、と解説しています。
  そうそう、平作が息絶える場面で、哀感あふれる胡弓を演るのは反則だよ~。 あれはアカン、滝涙。

   ※ 「伊賀越道中双六」 の 「沼津の段」 から →
      (胡弓が始まったところで映像が終わっているのが残念)



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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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