景清地蔵・おたま地蔵(新薬師寺)
JR西日本の 「ちょこっと関西歴史たび 奈良・高畑」 キャンペーン。(2018年7月1日~9月30日) ★
キャンペーンに参加している新薬師寺、奈良市写真美術館、福智院を訪ねました。
(不空院は可能なら後日訪問するかも)
新薬師寺では、本堂の西側の香薬師堂に安置されている景清地蔵とおたま地蔵を拝観。(拝観日限定、要予約)
普段は非公開ですが、ご住職が案内と解説をしてくださいます。
景清 [かげきよ] 地蔵は明治時代の初めに近隣の地蔵堂から移されたものとのことですが、
源頼朝の暗殺を企てたといわれる平(悪七兵衛)景清の伝説があります。
(JR東海 「うましうるわし奈良」 大和をかし話から → ★)
ただし、昭和59年に修理調査中に胎内仏(おたま地蔵)とともに納入文書が見つかり、
その記述内容から、残念ながら景清とは直接関係ないことが分かりました。
いまの景清地蔵は錫杖の代わりに弓を持っています。
景清伝説を補強するために誰かが持たせたのかも知れませんが、
伝説があるのは景清に係る何かがあったのではと想像が膨らみます。
おたま地蔵は胎内仏と聞いていたので、とても小さなお像を想像していましたが、
外側の仏像(景清地蔵)と大きさがほぼ同じで驚きました。
お堂の外のセミの鳴き声にかき消されてご住職の説明がよく聞こえませんでしたが、
安産の仏さまとして信仰されてきて、玉のような子が産まれるようにということで「おたま」になったとか(?)
おたま地蔵は裸形像で、陰部が蓮の花の蕾になっています。
新薬師寺HPから → ★
香薬師堂での拝観の前に、本堂でもご住職の案内と解説がありました。
本来、堂内撮影禁止ですが、ご住職から特別に許可が出て、
本堂東側の壁に埋め込まれているステンドグラスの撮影ができました。
本尊の薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来と言います。
その名の由来となる瑠璃の光が堂内に差し込む様子は、素晴らしいものでした。


香薬師堂



本堂



≪余談≫
香薬師堂内の厨子の上に山号が書かれた扁額が掲げられていますが、
圓照寺第六世門主の文秀女王さまの筆と分かって、感激しました。