東大寺法華堂の落書き



東大寺法華堂 (三月堂) に昔の落書きがあることを聞いてはいましたが、具体的に何が書かれているのかは知りませんでした。

京都の古書店で見つけた 『東大寺』 。

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表紙の絵は、信貴山縁起絵巻の尼公の巻で描かれた大仏殿ですね。


観光ガイドブックかと思いきや、あまり知られていない情報も多く載っていました。
法華堂の落書きの内容についても載っていたので、購入しました。

法華堂の説明の終わりのほうに、以下のような記述があります。

HokkeRakugaki_b111.jpg


落書き (ワタクシが青字化) は、「千日花」 という法要の記録を刻んだものでした。
刻まれた年号を西暦に直すと、以下のとおり。
  長承元年 1132年
  保延元年 1135年
  久安五年 1149年
  仁平元年 1151年
  平治元年 1159年 (この年の12月に平治の乱)


法華堂の正堂 [しょうどう] の東扉と西扉の方立に、これらの文字が刻まれています。
ワタクシが見たことがあるのは、東扉の方立の文字だけ。
普段は西扉は閉まっていて、雨天や強風など気象条件によっては東扉も閉ざされるようです。
東扉が開いていても、網戸越しに見ることになるので、見づらいです。


西扉が開いていた法華堂
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「千日花」 という法要がどういうものだったかワタクシは知りませんが、
現在はボストン美術館が所蔵する 「法華堂根本曼荼羅図」 (→ )を法華堂内に据えて行われた法要だったかも? (妄想)
この仏画の背面には久安四年(1148)の銘文があって、東大寺法華堂に伝わってきたことが書かれているそうです。




    “いま三月堂の北面に石を以て八角形に囲まれた場所があるが、
     これはこの千日不断花を焼き捨てところであると云ふ。”

法要で使われた千日不断花を焼き捨てた場所が法華堂北側に現存する。
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『東大寺』
201610294026-1111.jpg


B6サイズ。
134ページ。
発行日は、昭和16年9月5日。
発行所は、関西急行鉄道株式会社 (近鉄の前身会社のひとつ)。
定価は、七拾銭。(当時)
著者は、黒田曻義 [くろだ のりよし]。


黒田曻義氏
    建築史を専門とする技官だった。
    昭和16年(1941)に結婚したが、昭和20年(1945)、フィリピンで戦死。31歳。
    『東大寺』 が出版されたのは昭和16年なので、27歳頃。
    夫人は2015年に亡くなった。100歳。
    黒田曻義氏は1939年、興福寺東金堂の修理中に本尊・薬師如来の台座の下に

        仏頭
        buttou11-02-2016.jpg (パンフから拝借)
    があるのを見つけた人のひとりです。
    約500年、行方知れずだった仏頭の再発見に立ち会った人です。


考えてみれば、南都焼き討ちがなかったら、興福寺の仏頭もなかった訳だ。

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みのさん、こんばんは!

ご無沙汰しています。
さすがみのさん、丁寧な補足説明をいただき、ありがとうございます。
途絶えたこの行、もう復活はないのかも知れませんが、拝見したいものです。
満願を迎えた人の喜び、誇りが刻まれた文字に込められているのですね。
法華堂が戦火に巻き込まれず、今に残っていることが奇跡としか言いようがありませんね。
「法華堂根本曼荼羅図」が法華堂にあったとき、どう扱われていたのか、この行に係わっていたのかなど、興味が尽きないところです。
またいろいろ教えてください。

思わず、反応してしまいました。

 お久しぶりです。
法華堂の落書き?といいましょうか。。、なんといいましょうか。。
 この、行は、『千日不断花』(花供、あるいは、とう行)と言いまして、奥山にある『花山』から、樒を取ってきて、
法華堂の閼伽棚(法華堂、の入り口手前、東側)に納め、堂内の諸尊に、お供え。
 日中供花、法華堂初夜例時勤行、後夜勤行、以上が終わったあと、山の行場勤行に出発。
二月堂の北から山に入り、かつてあった、天地院弁財天、地蔵、蔵王権現、八幡宮、信貴毘沙門天、阿弥陀地蔵などで、勤行しながら閼伽井社に参る。と言った、謂ば、現在の比叡山の千日回峰行のようなものとイメージしていただければ、いいのではとおもいます。
 ちなみに、多くの樒を使用したため、閼伽棚が大きく、供花を捨てた石の八角形の花塚も、そのためです。
 蔵王権現や信貴山毘沙門天の遥拝所を示していた石碑は、奥山ドライブウエー工事中、壊されてしっまたそうです。平安時代に盛んで、法華堂および中門堂の堂衆方の僧侶により修行されていました。
江戸時代には、千日が百日となり、現在は、途絶えた行です。
 満願を迎えた方は、扉の柱に印刻できる資格があったようです。
 先人達の生きた証が、今は誰も気づかない、このような形でひっそりと残されていることに、ひそかに、こころおどらされています。
 
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