快慶たちが造った金剛力士像



奈良国立博物館で開催中の 快慶展


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東大寺南大門の金剛力士像は、高さが9メートルを超える寄木造の巨像。
奈良国立博物館に搬入するのはいろいろな問題がありそうで、難しいでしょうね。
奈良博から歩いて5分ほどの場所で見られるのですから、無理して館内展示する必要はありませんね。


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図録の解説によれば、像の解体修理の際に取り出された像内納入品 (出陳番号 38) の研究によって、
阿形は快慶、吽形は運慶が制作したとの従来説は見直しになったということです。
運慶、快慶、定覚、湛慶の4人の大仏師を中心に制作されたのは確かですが、
それぞれの像を誰が主導して制作したか、明確な結論はまだ出ていないそうです。
ただし、両像の制作統括者は運慶であることは、ほぼ間違いないようです。



≪余談≫

さて、この金剛力士像。
使われた木は、周防 [すおう] の国 (今の山口県) の徳地の山奥で伐り出されたものと判明しています。
用材調達プロジェクトのとりまとめは、俊乗房重源。

下の地図の右上あたり、佐波川の上流の山奥から伐り出された木は、
川を下って瀬戸内海に出て船で運ばれたようです。


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佐波川の上流
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筏に乗って用材を運ぶ姿の俊乗房重源像 (山口市徳地)
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佐波川の中流
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瀬戸内海を海岸沿いに東進し、大阪湾から淀川をさかのぼって、桂川と宇治川と木津川の三川が合流する地点 (山崎) に至り、
そこから木津川に入って、今の木津川市役所の北方の川べりにあった港 (木津浜) で陸揚げされたようです。



立ち寄ったかも知れない鞆の浦
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通ったはずの明石海峡
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立ち寄ったかも知れない大輪田泊 [おおわだのとまり] あたり (今の神戸港)
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さかのぼった淀川
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写真は山崎付近で、左側で桂川と宇治川と木津川が合流している。








木津浜近くの泉大橋
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文治元年(1185) 6月23日、川南となる向こう岸の砂地で南都焼き討ちの罪により、平重衡が処刑された。
砂の上に置かれた阿弥陀如来像を引導仏として、念仏を唱えながらを首をはねられたといいます。




奈良時代、大仏を造るために山口県の長登 [ながのぼり] 銅山 (今の美祢市に銅山跡がある) から
運び出されたインゴットは馬で瀬戸内海沿岸まで運ばれたようですが、
瀬戸内海に出てからの運搬ルートは奈良時代と鎌倉時代とでそれほど違いはないでしょうね。

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長登銅山文化交流館 (山口県美祢市)の説明パネルから



電気も、チェーンソーも、エンジン付きのクルマや船も無い時代に、
大量の巨木の伐り出し作業、奈良への運搬は大変だったと思います。
東大寺再興という大きな目標に向かってまい進した人びとの想いを感じながら金剛力士像を見ると、
また違った印象を受けるかもしれませんね。





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