鍵屋ノ辻



伊賀国上野の鍵屋ノ辻 (現 三重県伊賀市小田町) 。

ここで寛永11年(1634) 11月7日、渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て、弟を殺した河合又五郎を討ちました。
鍵屋ノ辻の決闘、あるいは伊賀越の仇討ちとして世に知られる事件です。


鍵屋ノ辻の道標 「みぎいせミち ひだりなら道」
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この道標が建てられたのは事件から約200年後の文政十三年(1830)。



このあたりは史蹟になっていて、伊賀越資料館や数馬茶屋があります。
伊賀越資料館には、荒木又右衛門自筆の起請文や事件の関連資料などが展示されています。
数馬茶屋は、数馬と又右衛門らが又五郎を待ち伏せていたとされ、
鍵屋ノ辻にあった茶屋の萬屋 [よろずや] をイメージして建てられている最近のお店です。


「史蹟 鍵屋ノ辻」
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「伊賀越復讐記念碑」
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伊賀越資料館
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河合又五郎首洗い池は資料館の裏にある。
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数馬茶屋
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暖簾や障子にある紋は渡辺家の家紋だそうです。







伊賀市上野寺町にある萬福寺には、河合又五郎の墓所があります。


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墓石の上側1/4が日光に照らされて見づらいですが。。。


立札には、
         寛永十一年十一月七日寂
       俗名 河合又五郎
             享年二十四歳
と書いてある。
又五郎役の文楽人形を見て、いい歳したおっさんだと思っていましたが、まだ若かったのですね。




歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられる 「伊賀越道中双六」 は、この仇討ち事件を脚色したものです。
劇では、渡辺数馬は和田志津馬、荒木又右衛門は唐木政右衛門、河合又五郎は沢井股五郎という名になっています。


唐木政右衛門

最終段の 「伊賀上野敵討の段」 では、着物の下に鎖帷子を身に着けている。




沢井股五郎を討ち取った和田志津馬 (左)
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やはり股五郎は24歳には見えないな。




    ※ 参考記事(弊ブログ) → 「荒木又右衛門in奈良」

    ※ 今の伊賀市荒木というところが荒木又右衛門の出生地で、
      国道163号 「荒木」 交差点の脇に 「荒木又右衛門生誕之地」 の石碑があります。



鍵屋ノ辻






≪余談≫

  「伊賀越道中双六」 は全10段あります。
  このうち単独で上演されることの多い 「沼津の段」 について手元にある文楽のガイドブックでは、
  悲劇的な話が多い文楽の中でこれほど泣かされる作品はほかにない、と解説しています。
  そうそう、平作が息絶える場面で、哀感あふれる胡弓を演るのは反則だよ~。 あれはアカン、滝涙。

   ※ 「伊賀越道中双六」 の 「沼津の段」 から →
      (胡弓が始まったところで映像が終わっているのが残念)



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