平重衡を追う(64)~ 密かに南都入り




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  「能が上演されるので、密かに南都入り。
   しかし、ポスターの掲示をよく許していただけましたね。
   さすが東大寺さん、懐が深い。
   “南都演上” !? 」  (T.S衡)


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(2017年10月14日、「演上」 )





2017年10月7日、東大寺東塔院跡発掘調査の平成29年度成果を一般公開する現地説明会があったので、
立ち寄りました。
詳しいことは、以下のサイトでどうぞ。

    産経新聞 →
    奈良テレビ →


概要説明に使われた 「寺中寺外惣絵図」 は江戸時代初期の絵地図で、東大寺とその周辺が描かれたイラストマップ。
今回の発掘から東塔院南門は転害門と同じ八脚門と推定され、惣絵図と一致しているようです。
「寺中寺外惣絵図」 の記載内容はかなり信頼性が高いということですね。



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「今回は南都焼き討ち関連の出土はなかったようです。」 (T.S衡)








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≪余談≫

   「寺中寺外惣絵図」 は、源平クラスタにとって注目すべきものが記録されています。
   浄土堂跡 (現在の東大寺俊乗堂) の周辺に、治承4年(1180) の南都焼き討ちで平家軍の先鋒をつとめた阿波民部重能、
   源頼朝、源義朝らの供養塔、重源上人の墓 「俊乗石廟」 があったことが分かる、興味深い絵図です。
   これらの供養塔や墓石の多くはその後、東大寺の北方にある伴墓 (現在の三笠霊苑の一画) に移されましたが、
   現地では重源さんの墓石ぐらいしか分かりません。


「寺中寺外惣絵図」 の浄土堂周辺 (左が北側になるよう修正)
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↓ 大仏殿




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かぎろひさん、こんばんは!

コメントありがとうございます。

いいえ、朝一ではなく、12時からの説明が始まる少し前に現地に到着しました。
全般説明、南門跡、雨落溝、塔西側階段付近のそれぞれに担当の説明者がおられて、分かり易かったですね。
全般説明で寺中寺外惣絵図が登場して、ちょっと驚きでした。
かぎろひさんも後日、詳しいご報告をされるとか。期待しています。

今回はお会いできなくて残念でした。
またバスの中からワタクシの姿を見つけたら、手を振ってください。
次回は気付かないかも知れませんが。

ニアミス?


こんばんは!

東塔院跡の現説、行かれましたか~
なむさんなら、たぶん朝一だったのでしょうね。

私は夕刻からの予定に合わせて、最終近くになりました。
南門遺構とはいえ、なかなかに興味深かったですね。
説明者がお1人だけではなく、とてもわかりやすかったのもよかったです。

残念なのは、なむさんにお会いできなかったことでーす。

ちはるかさん、こんばんは!

コメントありがとうございます。

お気遣いいただき恐縮です。
ワタクシも気になっていたのですが、能はよくわからなくて今回はパスです。
T.S衡がらみのネタがまだありそうなので、ぼちぼちご紹介できればと思っています。

こんばんは

こんばんは。
私も南都演上が気になって気になって
仕方がなかったところです。
なむさんにお伝えすべきか逡巡していました。

ほんと、東大寺さんは懐が深いですね。
さすがです。

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阪神エリア在住のおっさん。
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