河内源氏の里


河内源氏ゆかりの史跡を巡りました。
大阪の羽曳野市、富田林市、太子町が接するあたりが河内源氏の本拠地とされる地域です。


1.壷井八幡宮 (大阪府羽曳野市壺井)

 ※ 壷井八幡宮について(羽曳野市HP)→

多田(源)満仲の三男・頼信は河内守に任命されて、現在の壷井の地を本拠としたので河内源氏の祖と言われます。
その頼信の子・頼義が石清水八幡宮を勧請したのが、壷井八幡宮のはじまりとされています。
河内源氏の氏神・壷井八幡宮の境内にある壺井権現社、六孫王神社(京都府京都市)、
多田神社(兵庫県川西市)をあわせて源氏三神社と呼ばれています。
今回の参拝で三神社コンプリートしました。


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清泉「壷井」
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八幡宮前にあって地名の由来になった。





河内源氏に係わる系譜
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(通法寺跡近くの説明板から)

河内源氏は関東にも勢力を広げ、のちに頼朝らが活躍したのはご承知のとおり。







2.通法寺跡 (大阪府羽曳野市通法寺)

 ※ 通法寺跡について(羽曳野市HP)→

源頼義によって建てられたとされる、河内源氏の氏寺。
南北朝時代に焼失した通法寺は元禄年間に江戸幕府により再興されたものの、
明治時代の廃仏毀釈運動で廃寺となり、その跡地は現在、山門や鐘楼を残すだけになっています。


山門には「源氏祖郷」とある。
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通法寺旧境内
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3.源氏三代の墓

通法寺旧境内にある源頼義の墓
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墓前の石灯篭には通法寺再興者のひとり、江戸幕府老中・柳沢吉保の名が寄進者として彫られています。

通法寺跡から徒歩数分の丘の上に八幡太郎義家の墓と、河内源氏の祖・頼信の墓があります。
通法寺跡からすぐ近くですが、行政区画では太子町です。


源義家 (八幡太郎) の墓
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源頼信の墓
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源義家 (八幡太郎) の墓所







≪余談1≫

源頼信の墓の近くには、隆光僧正の墓もあります。

東大寺、法隆寺、長谷寺、室生寺などの奈良の主だった寺院は、
江戸時代に徳川綱吉、桂昌院、隆光僧正のおかげで再建、修復されて現在に至っているのですが、
隆光僧正はほとんど知られていないようです。
綱吉が亡くなったあと失脚し、故郷の奈良にあった超昇寺に引退して享保九年(1724) に死去。
隆光僧正のお墓は超昇寺(廃寺)近くの佐紀幼稚園(閉園)の隣りと、通法寺の2か所にあります。
通法寺にも墓があるのは、徳川家の祖とした源氏ゆかりの通法寺の再興を
柳沢吉保ともに行ったためのようで、奈良の墓所から分骨されたそうです。
悪人とみなされた隆光僧正の業績を顕彰していた人がいたのでしょう。

隆光僧正の墓
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ひび割れて針金でくくられている墓石が痛々しい。






≪余談2≫

今回の散策ルートで出合った眺望。


観音塚古墳 (1)
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斜面左側に石室開口部の一部が見えている。





観音塚古墳 (2)
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石室から葛城山/金剛山方面が望める。






敏達天皇陵付近から見た二上山
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(2017.12.2)



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