南都焼き討ちの日




今年もやって来ました、12月28日。

“ 南都燈火会記念日 ”


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     東大寺
     手向山八幡宮(旧)
     興福寺
     率川神社
     隼神社
     般若寺
     元興寺
     法華寺
     不退寺
     超昇寺 (現在廃)
     佐紀神社
     正暦寺 〔以上、奈良市内〕
     當麻寺 〔葛城市〕
     神童寺 〔京都府木津川市〕
        → 拝観のしおりには南都焼き討ちの際、平資盛によって焼かれたとあるが、平重衡の間違いでしょう。



 大火災は、夜になって暗いので明かり用に灯した松明の火が、折からの強風にあおられて燃え広がったためと、『平家物語』(覚一本) は失火が原因との立場です。
 一方、九条兼実の日記 『玉葉』 には南都焼き討ちが事前に計画されていたことがわかる一節が記されていますし、『山槐記』 や 『延慶本平家物語』 の記述も踏まえると、焼き討ちは当初からの計画的な作戦だったとする研究者が多いようです。
 ほんとうに失火なら奈良時代の建築である正倉院や転害門も焼失して不思議ではありませんし、奈良の中心から外れた場所にある正暦寺や當麻寺の被害が偶発的な失火では説明できませんね。

 東大寺大仏殿について言えば、その2階に避難していた人々(足の弱った老僧、女性、子どもなどの戦争弱者) 1,700余人が平家軍によって放たれた炎に巻き込まれ、天を響かし、地を動かすほどの叫び声をあげながら焼け死んだことが 『延慶本平家物語』 に記されています。




201607091384-0111.jpg

治承四年(1180)12月28日の南都焼き討ちにより、ここで1,700余人が焼死。
大仏さまはこの人たちの墓標と見なすこともできるのでは。

合掌






≪余談≫

東大寺東塔院跡発掘現場 (2016年11月)
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南都焼き討ちによる焦げ跡(赤矢印)が見られた貴重な機会でした。



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