圓照寺(山村御殿)


圓照寺。

奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺です。
非公開寺院のためふだんは拝観できませんが、
今のところ奈良交通のバスツアーに限って拝観が許されていて、
今回このツアーで念願の拝観が叶いました。

開山をはじめ歴代住職の多くが皇室関係の方で、
地元では圓照寺より 「山村御殿」 の呼び方のほうが馴染みがあるらしく、
昔はタクシーに乗るときに行先を圓照寺というと、円成寺に連れていかれることもあったそうです。

圓通殿と呼ばれる本堂には、本尊の如意輪観音、脇侍の地蔵菩薩と不動明王が厨子に安置されています。
多くは妖艶さを備えた如意輪さんですが、厨子の間近で拝見すると、
こちらの如意輪さんにはそれがほとんどなく、慈愛に溢れた美しいお像です。
同じ厨子を少し横へのぞき込むと、着物を着ている小さな聖徳太子像があります。
この着物は、第六世門跡の文秀女王(明治-大正時代の皇族)が作られたものだそうです。
厨子の向かって左側に安置されている後水尾天皇像はその皇女で開山の文智女王の作で、
まつ毛には後水尾天皇の髪の毛が使われているとか。

本堂でひとしきり拝観したあと、渡り廊下を通って奥御殿へ。
入口の間、拝謁の間、中の間、御座の間などの部屋があります。
昔は下々の者は入れなかったという御座の間にも入らせていただきました。
この部屋には文秀女王ゆかりの品がそこここにあり、
部屋の中央には半畳ほどの畳が一段高く置かれていました。
客人は入口の間で待ったあと拝謁の間に移り、御座の間に座られた文秀女王に対面したとのことですが、
御座の間と拝謁の間とのあいだには中の間という部屋があり、この中の間を挟んでやりとりされたそうです。


≪余談1≫
  東大寺の僧侶は華厳宗管長に就任後、圓照寺にも挨拶回りされるようですが、
  この奥御殿で挨拶されるのか、確認し忘れました。


≪余談2≫
  圓照寺からほど近い正暦寺には、文秀さまの銘のある梵鐘があります。
  皇室ゆかりの梵鐘ということで、戦時中の金属類回収令による供出は免れたらしい。
  文秀さまは正暦寺へときどき足を運ばれていたそうです。



閑話休題、もとの話に戻します。
大正15年(1926)、83歳で亡くなった文秀女王は能筆で、和歌にも通じていたそうです。
御座の間には、「掬水月在手 弄花香衣満」 と書かれた掛け軸や、おそらく晩年の頃であろう写真もありました。


庭も、建物も、調度品も、どれも慎ましやかで、清楚な趣のある尼寺でした。
三島由紀夫が 『豊饒の海』 に記した光景が、確かにありました。




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(再掲)







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中庭のモノリス
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近くの古墳の石棺の一部らしい。






奥御殿から見た庭
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201802218558A.jpg
(再掲)






<参考> 正暦寺の梵鐘
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「大正甲子十月 文秀」 と陽刻されています。
大正甲子は大正13年。







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