中川寺


奈良市中ノ川町の北部に、かつて中川寺という密教寺院がありました。
平安時代の天永三年(1112)ごろ、実範という僧侶が建立に着手したらしい。
本寺の成身院のほかに、弥勒院、清浄院、地蔵院、瓦坊、東北院、仏眼院、十輪院、薬師院、三蔵坊などの子院で構成される大寺院だったようですが、江戸初期には成身院、塔、鐘楼が残る程度に衰微し、明治初期には廃寺となった。
その跡地は現在、藪や雑木林ですっかり覆われてしまっていて、往時の面影はまったくありませんが、開山の実範上人の墓とされる五輪塔が残されています。




実範 [じっぱん・しっぱん・じつはん・じちはん]
  生年:不詳、没年:天養元年(1144) 9月10日。
  平安後期の真言宗、律宗の僧。
  奈良の中川寺(現廃寺)成身院の開祖で、唐招提寺の復興者。
  通称・中川少将、少将上人。
  出身は京都。父は参議・藤原顕実。
  興福寺に入寺して法相を学び、醍醐寺・厳覚や高野山・教真より密教、横川の明賢より天台を修めた。
  早い時期から光明山寺などの密教、山岳寺院との関係を持ち、
  興福寺の別所的性格を持っていた中川寺に隠遁後も、
  忍辱山円成寺、浄瑠璃寺、岩船寺などの周辺の山岳寺院にかかわり、
  祈祷者・修験者的要素を強めていった。
  一方、戒律にも通じ、藤原忠実ならびに関係者の出家に際して戒師を勤めている。
  『元亨釈書』 実範伝では、実範は唐招提寺で牛を使って耕作していた禿丁の人より四分戒を受けた、
  というエピソードが述べられ、唐招提寺の荒廃ぶりと戒律復興に赴く実範の姿が象徴化されている。
  著書に、『東大寺戒壇院受戒式』、『病中修行記』 などがある。
   (『朝日日本歴史人物事典』から)



オールマイティなお坊さんですね。
荒廃していた唐招提寺を復興したことは、あまり知られていないと思います。
形骸化していた受戒作法を改めるため 『東大寺戒壇院受戒式』 を定めたことから、南都戒律中興の祖とされています。
晩年は浄土宗に帰依し、中川寺から光明山寺 [こうみょうせんじ] に移ってそこで亡くなったようです。



円成寺
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唐招提寺
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東大寺戒壇院戒壇堂







光明山寺跡 (京都府木津川市)
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中川寺は高野山の聲明の故郷でもあります。
その昔、高野山に正統な聲明が伝わっていないことを残念に思った高野山三寶院の住職が中川寺で唱えられていた聲明を受け継いで持ち帰り、高野山の声明 (南山進流) として現在に伝わっています。

高野山 三寶院
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先日、実範上人の御廟塔へお参りに。
最寄りのバス停は 「中の川」。

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バス停奥のお地蔵さんは元は成身院にあったらしい。
永正十四年(1517) と刻まれています。







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実範上人は興福寺の僧だったことから、現在は興福寺が御廟塔を管理しているそうです。
命日の9月10日には、興福寺、般若寺、浄瑠璃寺、岩船寺などゆかりの寺院から僧侶が出仕して法要が営まれているそうです。






廃寺となった中川寺の現存する主な遺物には、以下のものがあります。


● 毘沙門天立像 (国重要文化財)
 応保二年(1162)作、旧中川寺十輪院持仏堂所在、現在は東京国立博物館所蔵。
 2017年、東京国立博物館で開催された 「運慶展」 にお出ましされました。
 現存する玉眼の仏像としては、3番目に古い作例。
 (最古は仁平元年の奈良・長岳寺の阿弥陀三尊像、次いで久寿二年の京都・北向山不動院の不動明王坐像)
    写真はこちら →

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(図録から拝借)





● 木造薬師如来坐像
 旧中川寺成身院所在、現在は木津川市西念寺所蔵。

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● 梵鐘 (国重要文化財)
 旧中川寺成身院所在、現在は神戸市徳照寺所蔵。
 徳照寺境内に見える梵鐘は昭和五十三年製のレプリカで、実物は収蔵庫に入っています。
 銘文は以下のとおり。

    成身院鐘大治四年
    四月七日鋳造匠多
    治比頼友等也唯願
    以茲善根資功法俗
    聞声人畜乃至群生
    共成仏道矣
    既経卅六年破損仍
    長寛二年歳次甲申七月
    二日乙酉有縁合力以
    尊智聖人鋳直之

 銘文によると、大和国成身院の鐘で、大治四年(1129)4月7日、多治比頼友らによって鋳造され、
 その36年後、破損したので長寛二年(1164)7月2日、僧尊智によって改鋳されたことが分かります。
 江戸時代天保年間、徳照寺の本堂造営の際、大阪でこの梵鐘を購入したと伝わっています。
 購入後、この梵鐘は大阪の河口から船に積まれて運ばれたそうですが、
 当時、梵鐘を船に積むと龍神の祟りで船が沈むという俗信があったため、
 その難を避けるために婦人の赤い湯巻に包んで運んだので無事だったとの言い伝えがある、
 と徳照寺さんで頂いたしおりに書いてありました。
 特徴的なのは、鐘の内面に梵字の銘 (知炬如来破地獄真言と如意輪観音真言) と
 五輪塔が鋳出されていることです。


徳照寺 (神戸市中央区)
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阪神淡路大震災で鐘楼が倒壊したため、現状はこのような姿になっているそうです。
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鐘の内側
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梵字と五輪塔の絵が見えます。





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境内にある説明版の後ろに梵鐘の収蔵庫がある。
収蔵庫にあったおかげで、本物の梵鐘は震災による被害を免れたそうです。




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