平重衡を追う(69)~ もうひとつの松蔭の硯


南都焼き討ちで平家軍の総大将だった平重衡は、一ノ谷の戦いで生け捕りにされて京都で監禁されているときに、
法然上人から戒を授かったと 『平家物語』 に書かれています。
重衡は受戒のお礼に、法然さんに 「松蔭の硯」[まつかげのすずり] を贈ったとあります。
その硯は奈良県の當麻寺奥院に伝わっていて、奥院の宝物館で拝見したことは以前の記事にアップしました。
  → 「當麻寺奥院2013秋」
  → 「平重衡を追う(7)~ ゆかりのグッズ」



「松蔭の硯」(@當麻寺奥院)

(図録から拝借)


※當麻寺奥院のHPの宝物館のページにも、松蔭の硯が紹介されています。 →



この松蔭の硯、実はもうひとつあるのです。
所蔵するのは、京都の百万遍知恩寺。
(単に知恩寺とも呼ばれますが、知恩院とは別のお寺です)
京都国立博物館で開催中の 「百万遍知恩寺の名宝」 展で、この松蔭の硯が出陳されています。


松蔭硯
Kyohaku03MA.jpg
(展覧会チラシから拝借)


  「平清盛が愛用したと伝えられる硯で、南宋の皇帝より贈られたとされる。
   清盛の子の平重衡へと伝わり、その後、法然に託したとされる。・・・・・」


こちらの硯は當麻寺奥院のものと比べると、角張っていますね。
会場の説明には、“松蔭” に [しょういん] とルビがふられていました。
この硯には、後奈良天皇により松蔭硯の由緒が記された書が付属しています。
その書の一部も展示されていますが、素人のワタクシには理解不能な文です。
ただ、一ノ谷、義経、重衡、生捕、源空、清盛、師盛などのキーワードは読み取れました。
『平家物語』 をもとに松蔭硯にまつわる話をまとめた内容かなとスイソクしましたが、
室町時代の後奈良天皇の宸筆であるところに価値がありそうです。


百万遍知恩寺は浄土宗七大本山のひとつで、宗祖の法然上人が開基。
上人の高弟のひとり、勢観房源智が第2世。
源智は一ノ谷の戦いで戦死した平師盛の遺児と伝わっています。
平師盛は平重盛の子で、平清盛の孫でもあり、平重衡の甥っ子に当たります。





≪余談1≫

 「百万遍知恩寺の名宝」 展 (2018年8月7日~9月9日) で、気になった他の展示品をいくつかご紹介。


 ■ 鉦鼓 [しょうこ]

Kyohaku03SA.jpg
(展覧会チラシから拝借)


   「重源上人鉦鼓之写」の線刻がなされています。
   江戸時代の東大寺勧進職・公慶上人の没後、弟子の公盛、公俊、庸訓がその職を継ぎました。
   公俊が勧進の際に使った鉦鼓は、南都焼き討ち後に勧進職となった重源上人が使ったものを模造したもの。
   重源上人が使った鉦鼓は現存していて、東大寺ミュージアムでたまに出陳されます。


 ■ 阿弥陀如来立像

Kyohaku02A.jpg
(展覧会チラシから拝借)


   快慶か、快慶工房の仏師によって作られたことは間違いないようです。


 ■ 徳川家光像

   江戸時代に描かれた絵で、道恕の賛があります。
   道恕は東大寺別當をつとめた僧侶。


 ■ 浄土曼荼羅図(当麻曼荼羅図) 〔重要文化財〕

   数ある当麻曼荼羅図の模本のひとつですが、他と違う特徴があります。
   説明が難しいので、現物を見て確かめてください。





≪余談2≫

 平成知新館1階の彫刻エリアの 【閻魔と地蔵】 コーナーで展示されているお地蔵さんのなかに
 奈良の内山永久寺(現廃寺) に伝来した地蔵菩薩立像がありました。
 作者は南都仏師の善円または善派らしい。






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