平重衡を追う(8)~重衡の妻はその後・・・


【スケさんのその後】


寂光院の建礼門院800年御遠忌の特別御朱印は
今年2013年いっぱい頒布されます。(¥500)




シゲさん(平重衡)の正妻・スケさんこと、大納言典侍(だいなごんのすけ、藤原輔子)は、
『平家物語』によると、シゲさんの骨を高野山へ送り、京都の日野に墓を建てたあと、
出家してシゲさんの菩提を弔い、寂光院の建礼門院に仕えた、とされています。


京都・大原の寂光院のすぐ近くに、小さな墓地がひっそりとあります。
建礼門院に仕えた方々の墓と伝えられています。

  

前列右から、
  阿波内侍(あわのないじ)
  大納言典侍局(だいなごんのすけのつぼね)
  治部卿局(じぶきょうのつぼね)
  建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)

後列左
  小侍従局

  


この墓が建礼門院ゆかりの彼女たちのものか、はっきりしたことは分かりませんが、
スケさんがここに眠っておられても、おかしくはないですね。



ジブさんこと、治部卿局は
ここで、
  

こうやって
  

沈んでしまったトモさん(平知盛)の奥さんです。

建礼門院はトモさんの同母の姉、シゲさんはトモさんの同母の弟です。




ジブさんは壇ノ浦の戦いで生け捕りになって都へ戻り、
守貞親王の乳母として再び活躍したようです。
壇ノ浦の戦いから45年余りして亡くなりました。(享年80歳らしい)

壇ノ浦の戦いの様子を直接見聞きしたジブさんですから、生前、
聞き取り調査などではその様子を語らせたら説得力があったはず。

『平家物語』はジブさんの存命中にほぼ成立したようなので、
物語に書かれた夫トモさんの活躍ぶりには、
ジブさんの「熱い思い」が反映されているのかも。


そのおかげかどうか分かりませんが、
『義経千本桜』 渡海屋・大物浦の段では、
摂津の大物浦で廻船業を営む渡海屋の主人・銀平は、実は平知盛、
そのおかみさん・おりうは、実は典侍の局(すけのつぼね)、という設定です。

安徳帝の乳母の典侍(スケ)さんは実際には他にもいたようですが、劇中の典侍の局は
知名度から言ってシゲさんの正妻・大納言典侍(藤原輔子)ではないでしょうか。

 安徳帝と典侍の局 (『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段から)
  

今の時代でも、劇の中でスケさん、トモさん、活躍中!



そういえば(その1)、
一ノ谷の合戦で、あっちゃん(平敦盛)の首をはねた熊谷直実は、
一時期、トモさんの御家人でした。(その後、源氏側に鞍替え)



そういえば(その2)、
2012年の神戸ルミナリエで、
ムネさん(平宗盛)、あっちゃん(平敦盛)、シゲさん(平重衡)という
打ち首三人衆
に会いました。

  

2012年の大河ドラマ『平清盛』のスタートにあわせて、首を元に戻して現代に復活。
時空を越えて握手していただきました!
シゲさんは、南都焼き討ちを深く反省しておられましたよ。

大河ドラマの終わりとともに消え去ったと思っていたら、なんと、今もご健在!
  神戸・清盛隊→





いつものようにまとまりがなく、脱線しがちでしたが、とりあえずこのシリーズはいったん終了です。
シゲさんネタが見つかれば、またアップしたいと思います。


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tag : 大納言典侍

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