平重衡を追う(6)~高野山にある墓



【シゲさんの墓/供養塔】


  ※PC画面表示はこちら



  「その首をば般若寺、大鳥井の前に釘づけにこそかけたりけれ」 (『平家物語』)


木津川の川原で1185年6月23日に斬首されたシゲさん(平重衡)の首は、
皮肉なことに、4年半前に南都焼き討ちで本陣とした奈良の般若寺に持ち込まれ、
その門前に 「釘付け」 されて、さらされました。

 ※釘で打ち付け、って。。。痛そー。
   あ、そう感じる状態ではないですけどね。



  般若寺楼門 【国宝】
  

般若寺の門前にあったという大鳥居は、
当時は別の場所だったようで、現在は残ってはいません。






当時の6月23日(旧暦)は今の7月下旬。
シゲさんのムクロ(首なし遺体)はこの暑い時期に長時間、
木津川の川原に捨て置かれていました。
このため、

  「 あらぬさま に成り給ひぬ」 (『平家物語』)

つまり腐乱して変わり果てた状態になっていました。

シゲさんの正妻スケさん(=大納言典侍だいなごんのすけ、藤原輔子ふじわらのほし)は、人にお願いして
あらぬさま に成” ったシゲさんのムクロを拾って輿に入れ、
担いで京都の日野まで持ち帰ってもらいました。
そして日野の法界寺で法要が営まれました。

  法界寺 【国宝】
  


さらに、般若寺の門前でさらされているシゲさんの首を引き取りたいと、
スケさんが東大寺再建の大勧進・重源[ちょうげん]上人にお願いしたところ、
重源さんは南都の大衆に依頼して、シゲさんの首を日野まで届けさせました。


  「首をば大仏のひじり・俊乗房 (重源) にとかくのたまへば、
   大衆に乞うて日野へぞつかわしける」 (『平家物語』)


  「よっしゃ、まかせなさい!」 by重源
  

  「首もむくろも煙になし、骨をば高野へ送り、墓をば日野にぞせられける」 (『平家物語』)


重源さんのおかげで、スケさんはシゲさんの首も胴体も火葬でき、
遺骨を高野山へ送り、墓を日野に作ることができたのです。

『平家物語』では、重源上人は“大仏の聖・俊乗房”と簡単に書かれていますが、
仏敵平氏側の願いも分け隔てなく聞き入れ、南都の大衆を動かすことができたのですから、
やはり、すごい人です。

それにしても、スケさんの願いがどのようなツテで重源さんに届けられたのでしょうか。
それが実現できた理由を知りたいところです。






【平重衡の墓/供養塔】



<1> 和歌山・高野山

   山上の寺院の中庭に平重衡の墓があります。

  

  (引いた画) 木陰なので少し分かりづらいです。
  

 ※ “骨をば高野へ送り、” と平家物語に書かれた重衡の遺骨。
    山上で購入した『高野山』というガイドブックには、
    法然さんが重衡の首級を乞うて当寺に埋葬した、と書いてあります。
    なので、こちらの墓石は今の時代で言うお墓(つまり遺骨と石塔がセット)に一番近いと思われます。
    お寺では毎日ご供養されていると伺いました。




<2> 奈良・般若寺 (2012年に“新設”)

  供養塔
  




<3> 京都・安福寺

  供養塔
  




<4> 京都・日野

  供養塔
  

    (背後から)
  





  ※江戸時代の名所ガイドブック『都名所図会』には、
   重衡の塚が日野村の“茶園(茶畑)の中にあり”、と書かれています。→



  ※ 高野山にある平重衡の墓に再訪した記事→



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tag : 大納言典侍

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