平重衡を追う(2)~南都焼き討ちの大罪(下)


【シゲさん、南都焼き討ちする(下)】

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治承4年(1180)12月28日、奈良が焼き討ちされて、
何の罪も無い一般住民も多数殺されました。

『平家物語』によると、戦死者の人数1000人余りとは別に、
焼死者の人数は大仏殿の二階に避難していた1700人余り、
興福寺に避難していた800人余り、その他を合わせて3500人余り、だったとか。

    

大仏殿の階上に1700人余りもの人が入れたのかギモンではありますが、
ここなら安全だろうと人々が避難していた大仏殿に火をかけたのですから、
ひどいことをしたものです。

    

大仏さまの体部分は溶けて山のようになり、頭部は地面に落ちてしまったということです。
そんな蛮行をしでかしたシゲさんは仏敵となり、多くの人々から憎まれることに。



でも、実は、平家軍による南都攻撃の前に、南都の大衆[だいしゅ](≒僧兵)もひどいことをしたようです。

    

『平家物語』によると、南都の大衆が猿沢池のまわりに
平家軍兵士の60数人の生首を並べた、と。
想像すると。。。いや、想像しないほうがいい。(怖っ!)

これを聞いた清盛は激怒!

「南都を攻撃じゃ!」
シゲちゃん、ゴー!



「父ちゃん、行ってきま~す!」




シゲさんは南都攻撃の翌日に、意気揚々と京都に戻ったようですが、
それから2ヶ月も経たないうちに、高倉上皇が崩御、清盛があっち死に。
立て続けに不幸が襲いました。
当時の人々は仏罰を目の当たりにして、震え上がったことでしょう。
これはマズイよ、ということで、さっそく復興が始まったのではないでしょうか。



<余談>
 2012年、平家軍が再び大和に来襲。
 多くの大和人を生け捕りにして神戸へ連れ去る事件が多発した。

 (近鉄奈良駅にて)



 ただし、聞くところによると、人質は海や異人館を見て欣喜雀躍し、
 「こうべびいふ」なるものに舌鼓を打ったという。


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