冥途の飛脚・巡礼4[近江]



忠兵衛が処刑された後、釈放された梅川はどこに行ったのだ?

ここだぁ。。。

  

。。。ということらしい。

矢橋=ヤバセ、と読むのだな。

滋賀県草津市矢橋町。

  

矢橋の交差点の角に、「梅川終焉の地」と「梅川の菩提寺」の標識がある。

  



■ 梅川終焉の地

梅川が隠棲したという十王堂には、鞭嵜八幡宮(むちざきはちまんぐう)を目標に行く。
この神社の北側に、それはある。

  

  

えっ? これが十王堂? とても小さい祠なんだけど。
梅川って、ちっちゃいオバハンだったのか?
鉄柵に説明書きがあった。

  (抜粋)
  

なるほど、ここは十王堂の“跡”だったのだ。
いまは民家の庭になっているようだ。
説明書きには、坪内逍遥などの一流のセンセイを巻き込んで調査した、などとある。


<余談>
 十王堂跡のまわりに、“ここに公衆電話あるよ”を示す看板や
 赤い字で「公衆電話」と書かれたノボリがある。(上の写真)
 この光景はいまどき珍しい。


<閑話休題(=本筋に戻る)>



■ 梅川の菩提寺

  

梅川の墓所、清浄寺。
矢橋交差点を軸として、十王堂跡のほぼ反対側にある。

門に、「梅川の墓」と題する簡単な説明書きがある。

  



鐘楼の下に墓がある。

  

  

  

墓石に文字が刻まれているかどうかは分からなかった。
卒塔婆には、

  梅室妙覚信女 二百四十□回忌追善
    安永元年
    十一月六日ノ仏 梅川 八十三才

と書かれている。
長生きしたんですね。


ちなみに、安永元年は1772年。
ということは、お梅ちゃんは1690年ごろの生まれ。
事件があったのが宝永六年1709年なので、お梅ちゃんはそのとき21歳ごろか。




<余談>

 次のバス停!

  

 水中を行くのか?
 肝をつぶしたぞい。






梅川終焉の地(十王堂跡)






梅川の墓所(清浄寺)








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★かぎろひさん、こんばんは!
おお~、電車から「忠兵衛せんべい」ののぼりが見えましたか。
機会があれば、ぜひせんべいを買って、「封印切り」をやってみてください。
なぜ近江で隠棲したのかが、よく分かりませんでした。
時間があれば清浄寺さんでいろいろお話しを伺いたかったのですが、ちょっと心残りでした。
そうなんです、梅川のその後の人生、とても興味がわきますね。

こんばんは!
昨日、橿原線で、新ノ口駅あたりを通過時、注意をして窓外を見ると「忠兵衛せんべい」ののぼりが見えました(笑)。
お梅ちゃん、それにしても長生きしはったんですね。
忠兵衛さんの死後、どんな人生を送られたのか、どういう境地に達されたのか、駆け落ちよりも興味がわきます。
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