平家にも優しい重源さん(1)


俊乗房・重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)
さん。

治承4年(1180)に平重衡(たいらのしげひら)が率いる平家軍によって焼かれた東大寺を復興するため、
大勧進として活躍した僧侶。

実は『平家物語』の「重衡被斬」と「六代被斬」の2ヶ所で重源さんが登場しています。


「六代被斬」では、平宗実が重源さんのもとで出家する話が出ています。

  ※平宗実(たいらのむねざね)
    平清盛の孫。平重盛の七男。兄には維盛や資盛などがいる。平重衡は叔父さん。


  「・・・ひじり[=重源]いとほしく思ひ奉りて出家せさせ奉り、
   東大寺の油倉(ゆそう)といふ所にしばらくおき奉りて・・・」 (『平家物語』)


宗実は養子に出ていたものの、源氏側の徹底的な平家殲滅作戦から逃れさせるために、
宗実を出家させて東大寺の油倉に一時かくまったとしています。


  よっしゃ、まかせなさい! by重源
  dscn7587-11.jpg



現在の東大寺本坊敷地内にある本坊経庫[国宝]
 6895-11.jpg


この本坊経庫。
じつは昔、大仏殿の東北側にあった油倉で、江戸時代に現在の場所に移設されました。
奈良時代の校倉造りの建物です。

普段は一般者が入れない本坊敷地内にあるので、
東大寺の国宝建築の中でもっとも目にする機会が少ない建物でしょう。
5月2日の聖武天皇祭のときは本坊の敷地の一部が開放されるので、このときは近寄れるはずです。
(行事の都合で変更の場合あり)

重源さんが平清盛の孫をかくまった油倉そのものなのか、はっきりしたことは分かりません。
が、その可能性はありますね。


なお、宗実はその後、詮議のため鎌倉に向かう途中、絶食して自死したと伝えられています。
重源さん、それを知ってどんな気持ちだったでしょうか。


(その2へ)



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コメントありがとうございます

こんばんは!

自身のこれまでのブログ記事の中で一番登場する昔の偉人は、重源さんかも知れません。
あの行動力がどこから出ているのか知りたいのと、その行動力にあやかりたいというのが理由です。

平重衡の奥さんの話は以前の記事にも採りあげましたが、シリーズの流れとして、もう一度アップする予定です(中身はほとんど変わらないと思います)。

源頼朝は東大寺再興の大支援者として忘れられない人ですが、身内にまで刃を向けるような冷酷さも併せ持つ頼朝を重源さんはどう思っていたのか、こっそり聞いてみたい気がします。(笑)

時代を超えて

こんばんは!

重源さんはもっと顕彰されなければならないとかねがね思っていますので、なむさんがこうして取りあげてくださるのはほんとうにうれしい限りです。重源さんの行動力にも慈悲心にも、時代を超えて引きこまれます。

>宗実を出家させて東大寺の油倉に一時かくまった
話も重源さんの大きさを感じさせますが、たしか、重衡の奥さんの願いを聞いて首をもらい受けたということも、以前書いていらっしゃいましたよね。

知るほどに、この方の偉大さを感じます。
シリーズでのご紹介ということで期待大です。地域的にも幅広くなることでしょうね。高野山も出てくるのかなあと、あれこれ想像して楽しみが深まります。

本坊経庫が、宗実をかくまった油倉という想像もワクワクものですね!
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