平家にも優しい重源さん(3)


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シリーズ3回目です。

※今回の記事は「平重衡を追う」シリーズ(→)でも取り上げた内容ですが、
 一部編集して再掲します。


治承4年(1180)12月28日、平重衡(たいらのしげひら)率いる平家軍が奈良に攻め入って、
東大寺や興福寺などの寺院に火をかけただけでなく、何の罪もない多くの庶民も虐殺しました。
南都焼き討ちです。
戦死者1000人余りとは別に、大仏殿の二階に避難していた1700人余り、
興福寺に避難していた800人余り、その他も合わせて3500人余りが焼死したと『平家物語』は伝えています。

    

その数の正確さはともかく、非戦闘者の死者数を具体的に示しているのは、
あまりに悲惨な出来事を後世に伝えようとする意図があったのではないでしょうか。


その後、重衡は捕らえられ、1185年6月23日、木津川の川原で処刑されました。

  処刑場付近
  



  「その首をば般若寺、大鳥井の前に釘づけにこそかけたりけれ」 (『平家物語』)


重衡の首は、その4年半前に南都焼き討ちで本陣にした奈良の般若寺に持ち込まれ、
その門前に 「釘付け」 されて、さらされました。

重衡の奥さんは藤原輔子[ふじわらのほし]、別称・大納言典侍 (大納言佐) [だいなごんのすけ]と言います。
壇ノ浦の戦いで入水を図ったものの助けられ、姉の住む京都・日野で隠棲していました。
大納言典侍は般若寺の門前でさらされている夫の首を引き取りたいと、重源さんにお願いしました。
重源さんは南都の衆徒(≒僧兵)に依頼して、重衡の首を日野まで届けさせました。


  「首をば大仏のひじり・俊乗房(重源)にとかくのたまへば、
   大衆に乞うて日野へぞつかわしける」 (『平家物語』)


  よっしゃ、まかせなさい!  by重源
  dscn7587-11.jpg


  「首もむくろも煙になし、骨をば高野へ送り、墓をば日野にぞせられける」 (『平家物語』)


重源さんの尽力のおかげで大納言典侍は夫・重衡を火葬し、
遺骨を高野山へ送り、墓を日野に作ることができました。


  和歌山・高野山にある重衡の墓(首塚)
  


  京都・日野にある重衡の墓
  






もう一話。

2006年の「大勧進 重源」展の図録に載っている記事:

 「(重源上人は平重衡の妻の)大納言典侍の願いに応じ、
  大仏再鋳のための大炉に供養のため重衡が所蔵していた銀・銅製品を
  奉加することも許している」


  よっしゃ、まかせなさい!  by重源
  dscn7587-11.jpg


この話の元は『東大寺続要録』という鎌倉時代の記録書に書かれています。
大納言典侍は、南都焼き討ちの悲惨な結果を聞いて胸を痛め、このようなお願いを重源さんにしたのでしょう。

いまワタクシたちが拝んでいる大仏さまのどこかに、重衡の所蔵品が溶け込んでいる可能性があります。


  


大仏さまがこの世にある限り、平重衡の懺悔と大納言典侍の祈りは続きます。




平重衡や阿波民部重能といった仏敵、大罪人と思われている人々や、
重衡周辺の人々(大納言典侍、平宗実)に対しても、
重源さんは宗教家として慈悲深い対応をしました。



『平家にも優しい重源さん』シリーズはこれでいったん終わります。

重源さんについては東大寺再興の事績をメインに語られることが多いですが、
これからも重源さんゆかりの地へ足を運んで、興味深い記事がアップできればと思います。




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tag : 大納言典侍

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