平重衡を追う(11)~寺江亭


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寺江亭跡[てらえていあと]

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阪神杭瀬駅から北東へ徒歩約15分、神崎川のほとり、シオノギ製薬の敷地の北端に、
寺江亭跡の石碑があります。


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平安時代の末期、平氏政権の有力者である
五条権大納言藤原邦綱[ふじわらのくにつな]の別邸・寺江亭が
このあたりにありました。
寺江山荘とも呼ばれました。

治承4年(1180)6月、京から遷都した福原(神戸)へ向かう後白河法皇、高倉上皇、
安徳天皇、平清盛らの宿所となったのをはじめ、
京と西国方面を行き来する際に皇族や貴族らが立ち寄った場所でもありました。

川から直接邸内へ船に乗ったまま入ることができ、
京の屋敷にひけをとらない豪華な建物だったようで、
治承3年(1179)から4年にかけて創建されたようです。



国道2号の左門橋からシオノギ製薬方面を望む

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ここに豪華な建物があったとは想像できませんね。







九条兼実の日記『玉葉』の治承4年(1180)6月2日を見ると、
上記の福原へ向かう一行のことが書かれていて、
随行したメンバーには、平宗盛、平重衡らの名前も見えます。

このとき、安徳天皇は2歳ぐらいなので、
乳母[めのと](=養育係)が付き添っていたと思います。

安徳天皇の乳母は、ご存じ、重衡の妻・藤原輔子[ふじわらのほし]。
つまり大納言典侍[だいなごんのすけ]さん。

実は、藤原邦綱の娘さんです。

重衡だけでなく、大納言典侍さんも寺江亭に滞在した可能性がありますね。



この約6か月後の治承4年12月28日、重衡は南都焼き討ち事件を引き起こします。





史跡・寺江亭跡の石碑









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tag : 大納言典侍

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