「明月記と最新宇宙像」展



京都大学総合博物館で開催中の「明月記と最新宇宙像」展。
(2014年9月3日~10月19日)

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(チラシから)

  明月記と最新宇宙像

        -千年を超えて羽ばたく 京の宇宙地球科学者たち-

     藤原定家の残した日記「明月記」の中には、
    安倍晴明の子孫の観測した超新星(客星)の記録3件が記載され、
    20世紀前半の世界の天文学の発展に大きな貢献をしました。
     本特別展では、明月記の中の超新星の記録が、
    いかにして世界に知られるようになったか、
    最近明らかになった興味深い歴史と京大の宇宙地球科学者たちとのつながり、
    さらに関連する最新宇宙研究について解説します。

    国宝「明月記」のうち超新星(客星)の記録が記載されている箇所を展示します。
    3件の超新星(1006年、1054年、1181年)の記載、発見当時の超新星はどのように見え、
    今はどう見えるのか、など解説します。
    明月記を書いた藤原定家、元の観測をした陰陽師・安倍晴明の一族も紹介します。



  ※朝日デジタル記事→


ということで、先日、観に行ってきました。
(「明月記」原本展示は9月28日で終わりました)

    201409280262-111.jpg



・歌人の定家さん、予想と違って、かなりクセ字!

・陰陽寮という役所で安倍晴明とその子孫は、地道に天体観測を行っていい仕事してますね。
 ものすごいデータベースを持っていたということ。
 定家から客星について調査依頼があり、
 その調査結果の報告書がそのまま明月記に切り貼りされていますが、
 専門家の見解をエビデンスとしているところは、大いに説得力あり。

・1054年の超新星は、かに星雲!(チラシに載っている写真がこれ)。

・「明月記」に超新星のことが書かれていることを見つけて海外の専門誌に投稿し、
 世界の天文学界で反響を呼んだ謎のアマチュア天文家(日本人)。
 その天文家の二男が奈良市でご健在ということが分かり、
 人物像が明らかになったのがつい2年前(2012年)。

・3件の超新星(1006年、1054年、1181年)が出現した当時の、
 京から見た夜空の想像図が見応えあり。(\1000の図録にも載っている。オススメ)
 1006年の超新星は、マイナス8等星の明るさ!
 1181年の超新星は、治承5年6月25日なので、
 平重衡による南都焼き討ちから約半年後であり、
 高倉天皇の崩御、平清盛の死去から間もない時期です。



そもそも、なぜ客星について過去事例を調べたかというと、
客星の出現は不吉の前兆と考えられていたからで、
1181年の超新星では養和の飢饉が発生しましたし、
定家が実際に観た1230年の客星では寛喜の飢饉が発生しているのです。
なんだかズバリ当たっている感じですね。

語りだすと止まりそうにないので、ここでやめておきます。(笑)










<余談1>

『続日本紀』にも、天体観測が行われていたことが分かる記事をよく見かけます。
たとえば、神亀元年(724)7月20日の条では、6月1日からこの日まで火星の運行が逆になった、
つまり見かけの運行が反対方向に進んだ、とあります。
いつも観測していた証拠ですね。




<余談2>

京都大学総合博物館の常設展示室には、奈良・田原本の唐古遺跡の出土品が多くありましたよ。
発掘調査では京都大学が係わっていたようですね。



※今日2014年10月8日、皆既月食でした。



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