平重衡を追う(18)~泉橋寺





泉橋寺 [せんきょうじ]
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行基菩薩
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天平12年(740)、行基さんが木津川に泉大橋を架けた際、その近くに創建した泉橋院を前身とする泉橋寺。
泉橋院は、行基さんが五畿内に造営した四十九院のひとつです。
聖武天皇は大仏造立への協力を依頼するため、泉橋院に行基さんを訪ねたと伝わっています。
この訪問がなかったら大仏は作られなかった、と言ってもいいかも知れませんね。

さて、この泉橋寺。
往時は立派な伽藍だったようですが、あの平重衡に焼かれました。
平重衡が率いる平家軍は、治承4年(1180)12月28日の南都焼き討ちの直前、
奈良への侵入を阻止しようとする南都勢力と木津川沿岸で激突。
その際に焼かれたようです。



境内にある五輪塔 (国重要文化財)
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石塔や石仏を調べる際に参考にさせていただいているサイト(『石仏と石塔!』)によると、この五輪塔は、
     『古来、光明皇后の遺髪塔といわれてきたが、
      移転に際して多くの遺骨が発掘され、治承4年(1180)、
      平重衡の南都攻めの折の犠牲者の供養塔であることが分かった。
      (新撰京都名所圖會 巻六)』

とのこと。
木津川沿いでの戦いの犠牲者を供養した人がいたということですね。


泉橋寺門前にある地蔵石仏の地蔵堂は徳治3年(1308)に上棟・供養され、
そのときの願主は奈良・般若寺の真円上人という僧侶だったそうです。
泉橋寺と般若寺はなんらかの結びつきがあったのでしょう。

地蔵石仏
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でかっ!


般若寺といえば、南都焼き討ちの際、平家軍の本陣が置かれたうえに、焼かれました。
そしてその後、処刑された重衡の首が門前にさらされたところでもあります。
上記の五輪塔による犠牲者の供養には、般若寺が係わっているかも知れませんね。





現代の泉大橋 (泉橋寺近くの土手から)
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今からちょうど830年前の文治元年(1185) 6月23日(旧暦)、
このあたりの河原で平重衡の首がポトリと落ちた。
川向こうに、重衡ゆかりの安福寺がある。





泉大橋周辺マップ
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                 ① 泉橋寺
                 ② 安福寺 (哀堂、重衡供養塔)
                 ③ 平重衡 首洗い池/成らず柿


※ ②と③については、過去記事 「平重衡を追う(5)~処刑」 をご参考までにどうぞ。






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