平重衡を追う(19)~臨終の引導仏



平重衡が木津川の河原で処刑される直前、
使用人だった木工右馬允知時(むくうまのじょう・ともとき)が
近所から阿弥陀仏を探し出してきました。

   “河原のいさごのうへに立てまゐらせ、
    やがて知時が狩衣[かりぎぬ]の袖のくくりをといて、
    仏の御手にかけ、中将(=重衡)にひかへさせたてまつる”

         (『平家物語』(覚一本)「巻第十一 重衡被斬」から)

阿弥陀仏を河原のいさご(=砂)の上に立ててから、
引導紐に見立てたありあわせの紐を阿弥陀仏の手にかけて、もう一端を重衡に持たせた。
阿弥陀さんに重衡を極楽浄土へ導いてもらおうとした訳です。

そして重衡は念仏を唱えながら首をはねられました。
元暦2年(1185) 6月23日のことでした。





木津川の南側、JR奈良線の線路沿いにある安福寺の本堂「哀堂」に安置されている本尊が、
重衡臨終の引導仏と伝わっています。

  <余談>
    安福寺の脇を走る電車から、十三重石塔(重衡の供養塔)や哀堂が一瞬見える。

十三重石塔(重衡の供養塔)@安福寺
201308178344-011.jpg


閑話休題(余談を本筋に戻して)、
この阿弥陀仏、砂の上に立てたとあるので、いわゆる三尺阿弥陀立像をイメージしていました。
しばしば造られた高さ90cmほどの立像です。
林原美術館所蔵の『平家物語絵巻』「重衡被斬」の場面に描かれている阿弥陀仏も、立像です。

  <余談>
    この場面で、重衡の首をはねようとしている武士の構えと立ち位置を見ると、
    この武士はサウスポー?

閑話休題、
安福寺の阿弥陀仏は一般には非公開なのでいろいろ調べたところ、
ようやくその阿弥陀さんの写真が載っている資料を見つけました。
なんと安福寺の阿弥陀さん、等身大です。
しかも結跏趺坐の坐像ですよ。

重衡臨終の引導仏とされる阿弥陀如来坐像
201508093262-121.jpg
(資料から)


資料では、この像は螺髪や両手の指など後補の部分が多く、
表面の漆箔も後世の貼り直しであり、当初の姿ではない、としています。
さらに、後補の部分を差し引くと、平安末期から鎌倉初期にかけての様式の特徴を備えていて、
重衡最期の時期とほぼ重なっているので、引導仏の伝承がうまく生かされたのかも知れないが、
実際に重衡と関係ある像かどうかは別途検討が必要、とも記されています。

まあ、学術的にはそういうことなのでしょうが、
このままそっとしておくのが一番いいのかも。(笑)



安福寺には、平重衡の絵(もちろん想像でしょう)が残されていています。
下方には、狩衣姿で合掌・端坐の重衡像が描かれ、
上方には、
    元暦貮年乙巳六月廿三日
    本三位中将重衡卿
    最期の砌此木津当寺の
    阿弥陀仏に値遇ありしに
    ・・・・

という賛があって、この絵が制作された江戸時代には、
安福寺の本尊阿弥陀如来坐像が重衡臨終の引導仏とみなされていたことが分かります。

平重衡像
20150809_0001-1.jpg
(図録から)
※神戸・清盛隊の清盛役の方に似ているような。。。(笑)






        処刑場付近
        



        不成柿/平重衡首洗い池と哀堂(安福寺)
        





平重衡処刑場あたり(推定)
senkyouin-map3.png

                 ① 泉橋寺
                 ② 安福寺 (哀堂、重衡供養塔)
                 ③ 平重衡 首洗い池/成らず柿


※ ②と③については、過去記事 「平重衡を追う(5)~処刑」 もご参考までにどうぞ。






JR木津駅にて
201508093260-011.jpg

きづ~
あづ~





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