平重衡を追う(25)~牛若が宇陀にやって来た



  【番外篇】


重衡にとって憎っくき敵のひとり、源義経

鎌倉幕府が編纂したと言われる歴史書『吾妻鏡』の文治元年(1185)5月24日条には
源義経の腰越状が書かれていて、その中に、
    父(源義朝)が殺されたため、母(常盤御前)は幼い私(義経)を懐に抱いて、
    大和国の宇多郡竜門の牧というところへ逃げた

というくだりがあります。
知り合いを頼って来たとのことですが、どこまで史実か分かりません。

「竜門の牧」は、現在の奈良県宇陀市大宇陀牧のあたりとされています。



伊那佐山の天狗岩から南南西方向の眺望
53400028-1111.png

烏ノ塒屋山の向こう側は吉野の山々で、後年、
壇ノ浦で平家をやっつけたあと、頼朝に追われて義経が一時隠れていたところ。



(文字無し版)
53400028-111.png





赤枠の地域が大宇陀・牧


竜門岳の東隣にある烏ノ塒屋山[からすのとややま]の南東麓の、国道370号を挟む一帯が牧です。
牧を通る国道370号には、「義経橋」があるそうです。

【追記】 ブログ友達のリンネさんが牧を訪問し、
牧の義経伝説や「義経橋」などについて
記事をアップされています。→






吉野も追われた義経は、一時、多武峰寺(現、談山神社)に潜んでいたが、
隠れ処としてあまりよくないので、人馬も通わない十津川郷に向かったという。
(『吾妻鏡』文治元年(1185)11月29日条など)





談山神社にも来ていたらしい源義経
201508119709-1111.jpg








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