南山城・寺社めぐり(3)



蟹満寺、綺原神社[かんばら・じんじゃ]をあとにして、
光明山寺[こうみょうせんじ]へ向かいます。
正しくは、光明山寺の跡。
現存していません。



蟹満寺の北側を流れる川に沿って、舗装された細道を東のほうへ登っていきます。

201510240133-011.jpg

周囲は竹林が多く、急坂もあります。






(4) 光明山寺跡

201510240138-011.jpg


坂を登りきると、山あいに開けた平地(田んぼ)が広がっています。
このあたりに最盛期には100以上もの堂宇が建っていたそうです。
光明山寺の創建時期ははっきりしないようですが、
平安時代にはその存在が確認されていて、鎌倉時代には東大寺の末寺でした。
山岳道場としても知られていて、永観、実範、明遍といった有名な僧侶がいました。


  永観[ようかん/えいかん]
    平安時代後期の僧。
    京都・禅林寺の僧だが、東大寺別当(第83世)もつとめた。
    紅葉で有名な永観堂は禅林寺の通称で、
    後ろを振り返って「永観遅し」と言ったという見返り阿弥陀さんがご本尊。


  実範[しっぱん]
    平安時代後期の僧。
    唐招提寺を再興したり、東大寺戒壇院受戒式を定めた。
    円成寺にもいたらしく、その近く(円成寺と般若寺のほぼ中間地点)に
    中川成身院を開いた。
    光明山寺にて入寂。
    中川成身院があったあたりに、実範上人の墓と伝わる五輪塔がある。


  明遍[みょうへん]
    平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧。
    藤原通憲(信西)の子。
    東大寺東南院の僧で、光明山寺に遁世した。
    高野山に蓮華三昧院を開いたという。




その後、興福寺や笠置寺の末寺になったようですが、
寺勢が次第に衰えて、江戸時代に入るころには廃絶したようです。





大きな寺院があったとは思えない、のどかな風景。

201510240137-011.jpg







近くの小さなお堂には、光明山寺にあったらしい石造りの観音菩薩立像(国見観音)が
安置されています。

201510240139-011.jpg









光明山寺跡




 ※ 続く






関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

コメントありがとうございます。

廃寺跡は確かに魅力ありますね。
光明山寺の場合、後継者がいなかったのは残念ですが、
南都仏教の歴史に大きな足跡を残したことに興味を持ちました。

国見観音さん、町内によくある小さな祠と同じような感じで祀られていますので、
拝観できますけど、内部はほとんど分かりません。

はい、このあと橘諸兄のお墓にも立ち寄りました!
このあとの記事にアップする予定です。


ええ感じですね

こんにちは!

私もぶらぶら歩き回りたいと思いながら、楽しく拝読しております。
きちっと予習されて行かれるのはさすが。

廃寺跡ってどこか魅力がありますよね。
国見観音さん、拝観できるのですか?

もしかしたら、この後、橘諸兄さんのお墓あたりへも行かれたかなと想像しています。
検索フォーム
プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
QRコード
QR