平重衡を追う(32)~ 多田満仲の矢文石



【番外】


兵庫県尼崎市久々知[くくち]にある須佐男神社[すさのおじんじゃ]。

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平安時代中期、源氏の棟梁・多田(源)満仲の勧請により建立されたと伝わります。
境内には、矢文石があります。

『多田満仲公 矢文石』
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    矢文石 由緒 (要約)

    多田満仲が摂津国守に赴任したとき
    住吉大神のご神託によって須佐男神社のこの石の上から矢を放ったところ、
    矢は雲の上はるかに飛び上がり、光りながら落ちて行った。
    満仲が矢を問いながらやって来た場所には、頭が九つもある大蛇がいて、
    矢が突き刺さった大蛇から流れた血は、紅の河のように這って流れた。
    満仲は大蛇の首を斬り、九頭の明神をあがめ祀った。
    大蛇の血水の引いた跡が多くの田のようになっていたので、
    その地を多田と名付けた。
    また矢を問いながら来たので、矢問[やとう]という地名もつけられた。
    10世紀後半、一族とともに多田盆地に移住した満仲は
    天禄元年(970年)、現在の多田神社の地に多田院という寺を建立。
    その地は清和源氏武士団の発祥の地と言われている。





多田の地は現在の兵庫県川西市にあります。
多田(源)満仲は源頼朝から7代さかのぼるご先祖様です。
多田神社境内には、満仲と息子の頼光(大江山の酒呑童子をやっつけた)の墓所もあります。
多田神社の前身の多田院は鎌倉時代に忍性さんによって再興されていて、
奈良・西大寺とゆかりもあります。


ヤマタノオロチ伝説もそうですが、
大蛇伝説が残っている場所はたいてい暴れ川があって、
氾濫でしばしば被害が出る一方で、
流域には肥沃な土地もあるというイメージがあります。
多田の地もおそらくそうだったのでは?

そういえば、南山城の蟹満寺に伝わる蟹の恩返しの話も、
木津川の治水を蛇退治でたとえたのかも、とチラと思いついた。






久々知の須佐男神社とその周辺地図
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  ① 川西市矢問[やとう]
  ② 昆陽池 (奈良時代、行基菩薩の指導により造られた灌漑用ため池)
  ③ 大物浦 (頼朝に追われた源義経や弁慶らがここから船で脱出を図った)
  ④ 寺江亭跡 (平重衡の正妻・大納言典侍のパパ・藤原邦綱の別邸跡)
  ⑤ 平重盛供養塔・平重盛之城址 (西宮市小松南町の岡太神社)
  ⑥ 専念寺 (開基・平重盛の菩提所)


久々知の須佐男神社から①川西市矢問まで約12kmあります。
満仲、すげー剛腕。
光りながら飛んで行ったという矢は、実はロケット弾だった?



②昆陽池から南西に約1.5kmには、行基菩薩が開基の昆陽寺[こやでら]があります。



せっかくなので、西国三十三所の23番札所・勝尾寺、24番札所・中山寺にも
印を付けておきました。

勝尾寺は源平の一ノ谷の戦いのどさくさで焼失してしまい、
その後、源頼朝の命により熊谷直実らによって再建されました。

中山寺はなんと聖徳太子が開基。
JR中山寺駅前には、馬に乗る聖徳太子像がどーんとあります。





忍たま乱太郎でおなじみの久々知兵助ゆかりの須佐男神社
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う~ん、また余談ばかりの記事になってしまった。。。。




酒呑童子 vs 源頼光 @手向山八幡宮
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