平重衡を追う(43)~ お別れの場所




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重衡が木津川の川原で処刑されたのが文治元年(1185)6月23日なので、
護送の一行が京都・日野のあたりを通ったのは、おそらく前日の22日だったでしょう。

正妻・大納言典侍(藤原輔子)は、事前に醍醐寺近くの奈良街道沿いの空き家を借り受け、
奈良に向けて重衡を護送する一行がやってくるのを待っていました。
『醍醐雑事記』という文献によれば、大納言典侍が夫の来るのを待って再会した実際の場所は、
同居していた姉・大夫三位(藤原成子)の屋敷ではなく、この借家だったようです。
(角田文衛『平家後抄』)

そして一行がやってきて再会が許され、重衡と大納言典侍が今生の別れを述べるくだりは、
『源平盛衰記』や『平家物語』の中で語られる感動的な場面のひとつ。


地元の言い伝えでは、再会した場所は合場川のほとりだそうですが、
地図にもあるように、もともとは「阿以波川」と書かれていたようなので
どうも付会のような感じがしますが。。。(阿以波→会い場→合場?)

いずれにしても、醍醐寺から合場川にかけての奈良街道沿いの家で再会したのでしょうね。




以下の写真は上の地図のあたりで撮影。


橋から見た合場川(上流側)
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橋から見た合場川(下流側)
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合場川を奈良街道がまたいでいます。
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1185年6月22日、平重衡一行は奈良街道(バスが見える道)を醍醐寺方面からやって来た。。。
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束の間の再会の喜びと、永遠の別れ。
一行が奈良に向けて出発すると、

  「・・・北の方(=輔子さん)、御簾のきは近く伏しまろび、
    をめき叫び給ふ御声の門の外まではるかに聞こえければ、・・・・」
                          (『平家物語』重衡被斬)







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