五坊寂静院(高野山)



高野山の一心院谷にある五坊寂静院。


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高野山の子院の一つですが、宿坊ではありません。

門をくぐったところに何かの建物があり、その奥に行くとお堂が一宇。
戸はどれも閉ざされていて、人の気配がありません。
廃寺の雰囲気さえありましたが、よく見るとそれなりに手入れはされているようです。




今回ここを訪れた目的は2つあります。


ひとつは、お堂を拝見 するため。


Wikipediaなどによれば、このお堂、実は 奈良・中宮寺の旧本堂 だそうです。
中宮寺本堂の新築にともなって、昭和42年(1967)、ここへ移築されたとのこと。

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以前は法隆寺の隣にあったというお堂。
このお堂の中に、あの美しい菩薩半跏像が安置されていたのでしょうか。





もうひとつは、貞暁 [じょうぎょう] 上人 ゆかりの寺だから。

貞暁って、誰?

源頼朝の子です。
第二代将軍・頼家の弟で、第三代将軍・実朝の兄です。
しかし、北条政子との間に生まれた子ではありません。
鎌倉の御所に仕えていた侍女に産ませた子です。
庶子です。
北条政子、怒りまくっています。
あの政子ですから、幼いとはいえ、いつ殺されるか分かりません。
ひそかに京都の仁和寺に引き取られて、そこで出家。
その後、高野山へ上り、高野山の復興に尽力したといいます。

政子も晩年になると、貞暁に野心の無いことを知り、帰依したといいます。
政子は熊野詣でに出かけると言って、実は高野山の麓にある天野の丹生都比売神社で
貞暁と面会したことが2度あったそうです。
政子は源氏一族の菩提を弔ってもらうため、貞暁に資金援助もしたようです。
五坊寂静院は文字通り当初は5坊あって、貞暁はそのうちの経智坊にいてそこに阿弥陀堂を建てたそうです。
その阿弥陀堂に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したり、
源氏将軍三代(頼朝、頼家、実朝)の供養塔を建てたりしました。

経智坊は現存していませんが、ここに頼朝の子がいたかと思うと不思議な感じがします。
貞暁は高野山で亡くなり、頼朝の男の子は断絶しました。
貞暁の墓は高野山のどこかにあるのでしょうか?

高野山の歴史資料『高野春秋編年輯録』には、
涅槃会で使われる四座講式を作った京都・栂尾の明恵上人を貞暁が一心院谷に招いたとの記事があります。
明恵上人の墓(供養塔)が一心院谷にある理由と関係あるのかも知れません。




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かぎろひさん、こんばんは!

貞暁さんは、高野山で立派な僧侶になったようです。
鎌倉法印とも呼ばれていたのは、頼朝の子であることを当時の人たちは知っていたのでしょうね。

ワタクシも判官贔屓なのか、常磐御前やその子供たち、そして貞暁さんにも同情してしまいます。

菟田野の妙香寺。
機会があればお参りに行きたいです。

いいお話ですね

こんにちは!

知らないことばかりで、興味深く拝読しました。
中宮寺の旧本堂が移築されていたとは!

貞暁上人と政子の話もドラマチックですね。

先日、「かぎろひ歴史探訪」で訪ねた菟田野の妙香寺は義経の娘が開いたと言われるお寺でした。常磐御前や3人の子供たちの身の上と合わせて思いを馳せましたが、なむさんの話もまた連続物語のような感じでお聞きしました。

続きも楽しみにしております。
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