東大寺修二会の声明公演2009


東大寺二月堂の修二会 (お水取り) 本行まで、3週間ほどになりました。
二月堂内で唱えられる声明 [しょうみょう] とダイナミックな所作は文字どおり劇的で、
別世界に連れ出されるような不思議な感覚に浸れる時が待ち遠しいです。

堂内でどのような祈りや懺悔 [さんげ] が行われているか一般人には分かりづらいのですが、
その一端を紹介する機会として、2009年に東京国立劇場で東大寺修二会の声明公演が行われました。
実際の声明や所作のすべてが忠実に再現されたわけではありませんが、
劇場の舞台上に二月堂内陣を再現して、2日間にわたって披露されました。



チラシ (表)
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チラシ (裏)
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公演プログラム冊子から

(表紙)
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(公演次第)
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公演プログラムにあるように、
1日目は、「初夜の悔過作法」、「初夜の大導師作法」、「初夜の咒師作法」、「半夜の悔過作法」、
2日目は、「走り」、「後夜の悔過作法」、「後夜の大導師作法」、「後夜の咒師作法」、「晨朝の悔過作法」、
が披露されました。
冊子には公演内容の解説があり、公演で咒師をつとめた橋村公英師が執筆。
「二月堂修二会 存続の危機を越えて」 と題する一文は、
西山厚先生 (帝塚山大学教授、元奈良国立博物館学芸部長) の執筆で、
平重衡による南都焼き討ちで壊滅的な被害を受け、不退の行法である修二会が前代未聞の中止になりかかったが、
一度でも途絶えさせてはならないと決心した有志の練行衆によって行われ、かろうじて継承された、
という話が紹介されています。
平安時代後期ごろから記されている 『二月堂修中練行衆日記』 の中で、
最も感動的なエピソードのひとつでしょう。

この公演では、両日とも冒頭に上野道善師(第219世別當)のご挨拶がありました。
11人の練行衆のうち、和上は北河原公敬師(第220世別當)、大導師は狹川普文師(第222世現別當)でした。

1日目の神名帳の奉読は、上司永照師。
はじめはゆったり朗々と、徐々にスピードアップして人間技とは思えない超高速読み上げが聞きどころ。

2日目の 「走り」 は、二月堂以外で行われるのは史上初だったそうです。
内陣のセットが舞台上でゆっくり回って、角度が変わりました。
短縮された内容でしたが、堂童子による戸帳の巻き上げもありました。
ただ、ワタクシの座席からはその様子がほとんど見えず、残念な思いをしました。

そういえば、舞台に下ろされたスクリーンに、初夜上堂の松明の実映像が映し出されて、
臨場感を高める凝った演出もありました。
10年近く前の公演なので、ずいぶん記憶が薄れてしまいました。
記録のために公演の様子を録画します、というような館内アナウンスが事前にありましたので、
DVDかBlu-rayで出してもらえると嬉しいのですけどね。



東京国立劇場エントランスロビー
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袈裟/重衣と紙衣 (ロビーで展示)
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二月堂内陣の舞台セット
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(休憩時間中のため照明が落とされていて分かりづらいですが)




東京国立劇場の舞台は天井が高くて音が抜けてしまい、聞きづらい面もありました。
やはり声明は修二会専用の舞台装置と言うべき二月堂で聴聞するのが一番いい。
五体投地のドスンという音と振動も直接感じられるし、ススの匂いに恍惚となれるし!?






≪余談1≫

 公演が始まる前にエントランスロビーでうろうろしていたら、
 周囲の人たちがざわついたので何かと見回すと、すぐ近くに高円宮妃久子さま!
 公演を観に来られたようです。




≪余談2≫

 奈良国立博物館で、修二会の時期に合わせた恒例の 「お水取り」 展が始まりました。
 この展覧会の期間中、東大寺僧侶による修二会(お水取り) 解説講座が毎年あります。
 今年2018年は、2月17日(土) に行われるようです。→
 今回の講師は、北河原公敬長老様です。



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奈良博にて (2018.1.27)



中山寺の節分会2018



聖徳太子の創建と伝わる中山寺(宝塚市)は西国三十三所第24番札所で、安産祈願の寺院としても知られています。
境内はいつも妊婦さんや、赤ちゃんと一緒に初参りする家族で賑わっています。

2月3日に行われる星祭節分会では、タカラジェンヌが豆まきします。
5年ぶりに行ってきました。

本堂で宝塚歌劇オーケストラの演奏に乗ってタカラジェンヌが歌を披露したあと、追儺式 [ついなしき] が行われます。
すると、貪 [とん] ・瞋 [じん] ・痴 [ち] の鬼が乱入して大暴れ。
ところがタカラジェンヌが扮する観音様に諭されて改心し、福・禄・寿の善神に変わるという小芝居があり、
そのあと豆まきが行われます。

今回、星組の彩園ひなさん、天翔さくらさん、麻倉しずくさん、音佳りまさん、羽玲有華さんが来られたそうですが、
勉強不足のオッサンは誰が誰なのかわかりませんでした。



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このあと、豆まきタイム。
参戦のため、写真無し。
観音様に諫められた 「貪」 (とん=欲の深いこと) 全開。



退場

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戦果
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≪余談≫

 中山寺ゆかりのゆるキャラがいました。


中山寺本尊・十一面観世音菩薩の 「かんのんさま」
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後頭部がちゃんと暴悪大笑面でした。





「なっちゃん」
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なんだか。。。。。シュール。



ハイキング立ち寄り大明神 (38)



二月堂修二会で毎夜読み上げられる “神名帳” の神様のうち、ハイキングなどで立ち寄った神社のご紹介。

続きです。



● 葛木倭文座天羽雷命神社 (奈良県葛城市加守)

   神名帳では、委文大明神 [しっとんノだいみょうじん] (80) ←神名帳で読み上げられる順番


  [かつらき しどりにいます あめのはいかづちのみこと じんじゃ] と読みます。
  長いので、倭文 [しどり/しずり] 神社と略して言うそうです。
  延喜式内の神社。
  二上山の麓に鎮座しています。
  本殿の両脇には、葛木二上 [かつらき ふたかみ] 神社と加守(掃守)[かんもり] 神社が鎮座しています。


  以下、頂いた由緒書から要約。

  「 葛木倭文座天羽雷命神社
      祭神は倭文 [しどり] 氏の祖である天羽雷命 [あめのはいかづちのみこと]。
      この神は 『古語拾遺』 などによると、天照大神の荒衣・和衣の御衣を織り、
      のちにニニギノミコトが天孫降臨したときに御衣織として共に降臨し、
      機織 [はたおり] の術を教え授けられた。
      倭文 [しどり] は文布 [しづり] で、天羽雷命が初めて術を国人に伝え、
      子孫もその業を伝えた由縁によって倭文を氏とし、その部族が諸国に散在し、
      各々機織と裁縫の術を伝えた。

    加守(掃守)神社
      加守は掃守の借字であり、このあたりの地名<加守>も神社に関係があり、
      祭神の天忍人神 [あめのおしひとのかみ] は、掃守の祖である。
      『古語拾遺』 によると、神武天皇の父・ウガヤフキアエズノミコトが生まれるとき、
      天忍人神は海浜に宮室(産室)を建て、箒を作って蟹を掃い去ったことから、蟹守という。
      カニは香泥 [かに]、つまり胎児の垢のことである。
      昔、掃部 [かもん] の職にあった者は、元は蟹守から出たものである。
      天忍人神は産育の始祖であり、産婆の神である。 」


  三つ目の葛木二上神社は、二上山頂上にある葛木二上神社の遥拝所だそうです。


  漢織 [あやはおり]・呉織 [くれはおり] は古代に大陸から伝わった織物技術とされていますが、
  倭文は大陸の織物技術が伝わる前から日本にあった織物技術と考えられるそうです。



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Youは何しに神社へ?





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この神社とは何のゆかりもないそうですが、氏子になった子どもが健やかに成長するようにと
那須与一の絵馬がたくさん拝殿に奉納されています。





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葛木倭文座天羽雷命神社、葛木二上神社、加守神社それぞれのご朱印。
宮司さんが不在だったため、神社名は書いていただけませんでした。
加守神社の朱印は、伝説の蟹ですね。





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参道の脇には産婆さんの顕彰碑が2基あって、これはそのうちのひとつ。






葛木倭文座天羽雷命神社








≪余談1≫

 葛木倭文座天羽雷命神社は11字が使われている長い名前ですが、ワタクシが訪問したなかで一番長い名を持つ神社は、

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飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
[あすか かわかみにます うすたきひめのみこと じんじゃ]


 14文字あります。
 奥明日香にあるこの神社の拝殿にたどりつくまで、約200段の階段を登らなければなりません。
 本殿は無く、拝殿の背後にある山がご神体です。




≪余談2≫

 近鉄奈良駅近くのパン屋にある 「恵方巻パン」。

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 真上から撮ってしまい、中身が見えないのが玉にキズですが、ロール巻状のサンドイッチです。
 あしたの2月3日は節分の日。
 準備はいいか?


平重衡を追う(66)~ 隼神社



奈良市の小西さくら通りと三条通の交差点を少し南に行くと、隼 [はやぶさ] 神社があります。
別名、角振明神、角振隼明神。
角振新屋町 [つのふりしんやちょう] にあって、ビルの谷間にひっそりと鎮座しています。
由緒書によると、祭神は角振隼総別命 [つのふり はやぶさわけの みこと] で、
 「神武天皇の大和平定に寄与し給ふた大神で、昔から柿を神木として神殿を設けず」
とあります。
当初は、祠があったようです。


隼神社
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狭い境内にある木は神木の柿でしょうか?
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うしろの小さな祠は宗像社。




実は、














  「ここも燃やしちゃいました」 (T.S衡)
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このせいで当初の祠は無くなり、その後は柿を神木として仰いだと、由緒書にある。

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  「若草山焼きの焼き払いボランティア活動へ向かう前に、神社の様子をこっそり見に来ました。
   僧兵に見つからないかとヒヤヒヤでしたよ」 (T.S衡)

     ■■は現場に戻ると言われていますからね。





南都の僧兵
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「逃げる鹿ないっしょ」



良弁僧正の母親を祀る社



東大寺の境内にある安産・子育ての神様は、
二月堂参籠所の食堂に安置されている訶梨帝母さんがよく知られていますが、
指図堂の東側にある子安神社はあまり知られていないと思います。
東大寺初代別當の良弁僧正の母親が祀られていると伝わります。



子安神社
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背後は大仏殿。




説明板を要約すると、

   - 子安 [こやす] 神社
      もとは 「富貴社」 [ふきのやしろ] と呼ばれていたらしい。
      『東大寺諸伽藍略録』 の江戸時代の記録によると、良弁僧正の母親を祀ったといい、
      「相模国から来られた母がここに住み、良弁は孝養を尽くした」 旨の説明があり、
      「孝養社」 と呼ばれたことも記されている。
      安産と子孫繁栄を願う社として、「富貴社」 より改称されたようである。 -


由緒はいまひとつはっきりしていないようですが、
江戸時代には良弁僧正の母親を祀った社と見なされていたようですね。




良弁僧正と母親の対面の図
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プロフィール

なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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