『心中宵庚申』




2017年11月の文楽公演ポスター
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お千代さん




近松門左衛門の最後の世話物 『心中宵庚申』 [しんじゅう よいごうしん] は、実際に起きた心中事件を題材にした浄瑠璃。
正式な夫婦でありながら心中するという珍しい話です。

作品の概要はこちらのサイトで → 文化デジタルライブラリー 「近松門左衛門 『心中宵庚申』 」




この夫婦 (お千代と半兵衛) の墓所は2か所あります。



1.来迎寺 [らいこうじ] (京都府相楽郡精華町大字植田)

 最寄駅はJR奈良線・祝園 [ほうその] 駅、近鉄京都線・新祝園駅。
 作品中の 「上田村の段」 は、上田村にあるお千代の実家での話で、今も来迎寺あたりは 「植田」 の地名が残っています。


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手前の屋根付きのほうが、初代の享保時代の墓石
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その背後に安政四年に建てられた墓石がある。








初代の墓石にも字がかすかに刻まれているのが分かります。
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お千代さんは身ごもっていたので、墓石にはその子の戒名 “離身童子” も刻まれています。
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門の横にある掲示板に文楽公演ポスターが。
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「植田」 の名が付いた地区の掲示板。
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2.銀山寺 [ぎんざんじ] (大阪市天王寺区生玉寺町)

 生國魂神社 [いくくにたまじんじゃ] の近くにあります。
 心中の場所は神社門前の馬場先 (天王寺区上汐3丁目あたり?) にあった東大寺勧進所だったそうです。


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こちらも三人一緒。
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初代・吉田玉男の墓も同じ境内墓地に。
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銀山寺でも文楽公演ポスターが。
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≪余談≫

 毎年10月下旬の日曜日に行われる大近松祭では、近松門左衛門の墓所がある広済寺 (尼崎市) で法要と墓前祭があり、
 そのあと隣接する近松記念館のホールで人形浄瑠璃などが上演されます。
 今年2017年は10月22日(日)に行われる予定。 →
 文楽人形遣いの吉田和生さんはこの数年毎回来られていますが、
 今年は人間国宝になって初めての参拝、上演になります。


墓参りする梅川ちゃん (人形遣いは吉田和生さん)
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(2013年10月27日の墓前祭で)



神戸で流鏑馬 (その2)



(つづき)


神事は山田の各地区が輪番で担当し、当番地区の代表が行列の先頭を行くようです。
モーニング姿の地区代表が六條八幡宮の鳥居をくぐります。
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後続の行列も鳥居をくぐって境内に向かって参道を進みます。
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こちらの境内でも、行列が何周か回りました。
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本殿の東隣りにある三重塔は、国指定重要文化財。
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棟札の墨書によれば、文正元年(1466) に竣工、願主は平盛俊などとなっています。
時代が違うので、一の谷の戦いで戦死した平盛俊とは別人でしょう。








例祭が終わって鏡開きがあり、参列者にお酒が振る舞われたあと、流鏑馬が行われます。

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今年2017年は射手が二人いて、交互に駆けていましたので、見ごたえのある流鏑馬でした。








河岸段丘の対岸から六條八幡宮を望む。 (画面左中)
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塔の相輪も見えます。







六條八幡宮








≪余談≫

  源平の戦いが行われていたころの馬は、今のポニー程度の大きさだったそうです。


T.S衡 「飛び入り参加するつもりで駆けて来たのに、途中の須磨寺駅前で落馬してしまったうえに、馬に逃げられたよ」 (泣)

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神戸で流鏑馬 (その1)



神戸にも、のどかな里山があります。
六甲山地の北側にある神戸市北区山田町も、そのような地域。
山田の地の総鎮守社である六條八幡宮は、社伝によると創建は長徳元年(995) で、
保安4年(1123) に山田庄の領主だった六條判官・源為義 (頼朝の祖父) が、
京の六条左女牛 [さめがい] (醒ヶ井) の自邸に祀っていた左女牛八幡大神を勧請合祀したので、
為義の称号をとって六條八幡宮と呼ばれるようになったと伝わります。
その後、山田庄は奈良・東大寺領となり、平清盛が所領の越前国大蔵荘と交換して平清盛領となりましたが、
平家没落後の文治3年(1187) に源頼朝が接収し、
六条左女牛八幡宮 (今の若宮八幡宮、陶器神社) に社領として寄進したそうです。



さて、六條八幡宮では毎年10月第2日曜日に例祭があり、流鏑馬 [やぶさめ] 神事が行われます。
神戸市のHPによると、神事の概要は以下のとおり。

 <概要>
  北区山田町にある六條八幡宮では、市内で唯一見られる流鏑馬が地域の伝統行事として受け継がれている。
  白衣、袴を着け、花笠を被った小刀弥 [ことね] (射手) が走る馬から矢で的を射る流鏑馬神事は県下でも珍しく、
  武神を祀る六條八幡宮ならではの神事で、市無形民俗文化財に指定されている。
  六條八幡宮は千年以上の歴史がある神戸市北区山田町の総氏神。
  境内には、三重塔 (国指定重要文化財) があり、山田町のシンボルとして室町時代の優雅な姿を今に伝えている。

 <開催日・場所>
  10月第2日曜日・六條八幡宮 (神戸市北区山田町中字宮ノ片57)

 <内容>
  ・ 七社 [しちしゃ] 神社  例祭:9時40分頃~、流鏑馬:10時頃~
               六條八幡宮に先立って近くの七社神社で流鏑馬が行われ、その後六條八幡宮まで行列が練り歩く。
  ・ 六條八幡宮  例祭:11時30分頃~、流鏑馬:例祭終了後
               七社神社から行列が到着後、例祭があり、その後流鏑馬が行われる。



興味深いのは、流鏑馬の仕方。
六條八幡宮より創建が古いとも言われている七社神社では、本殿前で止まっている馬の上から的に矢を射ったあと、
100mほど先にある鳥居に向かって走ります。
これを駆け出しの流鏑馬と言うそうで、4回繰り返し行われます。
ニュース映像などでよく見かける、疾走する馬の上から複数の的に連続的に矢を射る流鏑馬とは違います。
六條八幡宮でも、最初の2回は止まっている馬の上から的に矢を射ったあとに走り出す流鏑馬ですが、
その後は疾走する馬の上から矢を射るスタイルになり、これを数回繰り返しました。
的は1回の疾走に付きひとつです。
走る向きは今度は逆で、本殿の100mほど南にある鳥居から本殿に向かうので、駆け入りの流鏑馬と言うそうです。
七社神社から六條八幡宮に向けて、何かを届けていることを暗示しているのでしょうか。






六條八幡宮の南西約1.3kmにある七社神社の近くにも、茅葺き屋根の家があります。
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ここ、神戸市内です。







行列が七社神社の境内に入って数周回ります。
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馬子は小学生の女の子でした。
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例祭が始まりました。

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例祭が終わると鏡開きがあり、参拝者にも樽酒の振る舞いがありました。
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いよいよ流鏑馬です。

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参道の先にある鳥居のところまで疾走。
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以前見たときと、花笠の配色が違っている?







神事が終わったら、六條八幡宮まで練り歩きです。
集落を縫う細い道をのんびりと行列が行きます。
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黄金色の稲穂が風にかすかに揺れています。
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(つづく)



平重衡を追う(64)~ 密かに南都入り




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  「能が上演されるので、密かに南都入り。
   しかし、ポスターの掲示をよく許していただけましたね。
   さすが東大寺さん、懐が深い。
   “南都演上” !? 」  (T.S衡)


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(2017年10月14日、「演上」 )





2017年10月7日、東大寺東塔院跡発掘調査の平成29年度成果を一般公開する現地説明会があったので、
立ち寄りました。
詳しいことは、以下のサイトでどうぞ。

    産経新聞 →
    奈良テレビ →


概要説明に使われた 「寺中寺外惣絵図」 は江戸時代初期の絵地図で、東大寺とその周辺が描かれたイラストマップ。
今回の発掘から東塔院南門は転害門と同じ八脚門と推定され、惣絵図と一致しているようです。
「寺中寺外惣絵図」 の記載内容はかなり信頼性が高いということですね。



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「今回は南都焼き討ち関連の出土はなかったようです。」 (T.S衡)








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≪余談≫

   「寺中寺外惣絵図」 は、源平クラスタにとって注目すべきものが記録されています。
   浄土堂跡 (現在の東大寺俊乗堂) の周辺に、治承4年(1180) の南都焼き討ちで平家軍の先鋒をつとめた阿波民部重能、
   源頼朝、源義朝らの供養塔、重源上人の墓 「俊乗石廟」 があったことが分かる、興味深い絵図です。
   これらの供養塔や墓石の多くはその後、東大寺の北方にある伴墓 (現在の三笠霊苑の一画) に移されましたが、
   現地では重源さんの墓石ぐらいしか分かりません。


「寺中寺外惣絵図」 の浄土堂周辺 (左が北側になるよう修正)
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↓ 大仏殿




NINJA City IGA




伊賀市役所
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「忍者市」 を宣言した伊賀市。
旧上野市だった伊賀市の中心部が主な観光地になっているようです。
再建された上野城と城下町の風情が残る町並み、松尾芭蕉の生家やゆかりの場所、伊賀忍者の里、鍵屋の辻など
歴史探訪がメインとなります。


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伊賀鉄道の車両は、元は東急の車両。
東急にはよく乗っていたので懐かしい。
松本零士のデザインで忍者列車になっています。

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「こヽわ 西丸之内    清酒 瓢竹」
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いつの時代の街区表示板だろう。








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和光の時計台はありません。








松尾サンち。
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蓑虫庵の隣にある芭蕉堂は芭蕉の墓所がある義仲寺の芭蕉堂を模したもの。
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伊賀鉄道上野市駅前には、松本零士 「銀河鉄道999」 ゆかりのメーテルと鉄郎のブロンズ像があります。

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≪余談≫

 NHKのバラエティ番組 「鉄オタ選手権」 に出てくるメーテルがいい味出してるよ。
 スペシャル動画 「メーテルの1日 “ハルカスに行きたくて・・・” 」 →



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なむさいじょう

Author:なむさいじょう



阪神エリア在住のおっさん。
時間を見つけては奈良めぐり。

※2013年までの過去記事は本サイトへインポート後、一部を除いてリンクの更新等を行なっておりませんので見苦しい部分があります。ご了承ください。
※過去記事へのコメントも歓迎。

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